Javaさんのお部屋(サム・ジーヴァ帝国図書館)

Javaさんのお部屋です。引っ越しました。詳しくは「はじめに」を読んでね。スマホ版は全体像が見えにくいから、PC版と切り替えながら見てね。

私とは何か 「個人」から「分人」へ

私とは何か――「個人」から「分人」へ (講談社現代新書)

【概要】
著者(監督):平野啓一郎

「対人関係ごとに見せる複数の顔が、すべて『本当の自分』である」との言葉にあるように、「分人」は経時的に構成比率が変動する、キャラ%の円グラフ。「本当の自分」なんてものはどこにもおらず、非常に浮動的で相対的な「自分」があるだけ。

西洋近代的で自己同一性に苦悩する「個人」に対し、「分人」は多面的で相手との関係性に依って立つ、千変万化する豊饒な内面への道を拓く。東洋思想的で馴染みやすい考え方だと思うよ。

 

【詳細】
<目次>

  • 第1章 「本当の自分」はどこにあるか
  • 第2章 分人とは何か
  • 第3章 自分と他者を見つめ直す
  • 第4章 愛すること・死ぬこと
  • 第5章 分断を超えて


<メモ>

私たちの生きている世界に、唯一絶対の場所がないように、分人も、一人一人の人間が独自の構成比率で抱えている。そして、そのスイッチングは、中心の司令塔が意識的に行っているのではなく、相手次第でオートマチックになされている。街中で、友達にバッタリ出会して、「おお!」と声を上げる時、私たちは、無意識にその人との分人になる。「本当の自分」が、慌てて意識的に、仮面をかぶったり、キャラを演じたりするわけではない。感情を隅々までコントロールすることなど不可能である。

 

私たちは、日常生活の中で、複数の分人を生きているからこそ、精神のバランスを保っている。会社での分人が不調を来しても、家族との分人が快調であるなら、ストレスは軽減される。逆に、どんなに子供がかわいくても、家に閉じこもって、毎日子供の相手ばかりしている(=子供との分人だけを生きている)と、気分転換に外に出かけて、友達と食事でもしたくなるだろう。専業主婦の育児疲れを理解するには、その分人の構成比率に対する配慮が必要だ。

 

そして、分人 dividual は、他者との関係においては、むしろ分割不可能 individual である。もっと強い言葉で言い換えよう。個人は、人間を個々に分断する単位であり、個人主義はその思想である。分人は、人間を個々に分断させない単位であり、分人主義はその思想である。それは、個人を人種や国籍といった、より大きな単位によって粗雑に統合するのとは逆に、単位を小さくすることによって、きめ細やかな繋がりを発見させる思想である。

 

  • 三島、谷崎、鷗外などの著者が好きそうな作家の話がちょびっと登場。
  • 優先すべき相手の取捨選択は「その人と一緒にいるときの自分が好きかどうか?」が判断基準。
  • 「あなたの存在は、他社の分人を通じて、あなたの死後もこの世界に残り続ける」