【概要】
著者(監督):梅原猛
最澄から親鸞までの仏教史の簡易解説ののち、法然・親鸞・唯円の三師弟の思想のつながり、そして『歎異抄』のエッセンス講義。最後は原文と現代語訳で〆。仏教史のあれこれに疑問を投げかける著者らしく、唯円西国人説を提唱している。
人生に行き詰まり、自己に耐えられなくなったときに私は、何度か『歎異抄』を繰り返し読んだ。そして読むたびに私は不思議と勇気づけられ、いつしか心の傷が癒された気になるのだった。
『歎異抄』は、親鸞という異常な宗教家に触れ、その一生を親鸞思想の普及に費やした熱情的な信仰と冷徹な頭脳を持った唯円という優れた弟子の中で三十年にわたって反芻された親鸞像が、親鸞の教えが流行し一般化することによってかえってその真実の信仰が滅びるという危機感のなかで定着された、見事な人間像の記録であると言える。
【詳細】
<目次>
<メモ>
私は、先に最澄における日本仏教の成立は二つの点において思想的特徴を持つと述べた。一つは仏性の普遍化であり、もう一つは戒律の軽減化・内面化である。この最澄の後者の思想が、親鸞においてより一層、徹底されるのである。
結論として、ここにおいて、以前の浄土教が持っていた、そして法然においても克服されなかったペシミズムが完全に克服されたのである。それは、現世においても、来世においてもひたすら阿弥陀に任せて生きる絶対的なオプティミズムの思想であるといえる。