あらすじ
ウズベキスタンを含む〇〇スタン4か国に新婚旅行という名目で行ってきた。もともとはイスラエルに行く予定だったのだが、戦争勃発により断念、ウズベキスタン+スタン周遊と相成ったのであった。
陸上シルクロードとしての要衝としての文化遺産、幾多の民族と国家が興亡を繰り広げた歴史、近代以降のロシア・ソ連の影響が色濃く残る街並み、ガイドやドライバーと過ごした時間、どれも心の宝石箱にしまっておこうじゃないか。モンゴル辺り~イランあたりの謎地帯(つまり中央アジア)へのイメージ醸成、解像度向上に貢献した。
そして、胃もたれした。
もくじ
旅程概要
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12/3(日) ダルヴァザ⇒アシガバード
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12/7(木) タシケント⇒ホジェンド
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12/8(金) ホジェンド⇒タシケント⇒(30,000feet)
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12/9(土) (30,000feet)⇒仁川⇒関空⇒岡山
周遊図。タシケントを起点に東西南北を制覇した…と言いたいところだが、中央アジア五か国の残りの一つキルギスには行けていない。
詳細
12/1:岡山⇒関空⇒仁川⇒タシケント
金曜日の朝まだき、新幹線で関空へ。正直ここら辺はあまり記憶がない(; ・`д・´)
インチョン空港で飯。店ごとでなくセンター的な場所で注文する方式だと気づくのに大分かかった…。ターミナル間を行ったり来たりしようとしているうちに時は過ぎ…。
このジャケットがなかなか売っていない。
「名探偵ピカチュウ」などを観ている間、飛行機はユーラシア大陸の中心に向かって驀進し、ついに我々は二重内陸国のタシケント国際空港に降り立った。そこまで寒くない。
ガイドを探して\Taxi/ \Taxi/ の波に乗り込んでいくとそれらしきお兄さんが。"Hi!"と呼び掛けたところ日本語で返答あり。いや日本語かーい! ニックネームはディーンとのこと。疲れた体を引きずってバンでホテル・ウズベキスタンへと。
タシケント起点のため何度も泊まることになるホテルウズベキ。ザクロジュースに加え、火のついた蠟燭が部屋のあちこちにあり、魔術的な雰囲気が(新婚を祝った粋な演出という説もあり)。
部屋はこんな感じで、まあ悪くはない。たまにお湯が出なくなるが(; ・`д・´)
ロビーにある巨大ウズベキおじさん(今後も登場)。サンタクロースもいたりする。
12/2:タシケント⇒ウルゲンチ⇒ヒヴァ⇒ダルヴァザ(地獄の門)
激動の一日。
朝から飛行機に乗って古都・ヒヴァへ。ヒヴァいいよヒヴァ。
空港で朝メシ。なんというか…無骨だ。がぶり☆
この機内ビデオなかなか面白いぞい。
こっちが完全版。
近くのウルゲンチ空港まで一時間弱。
時間の都合もありほぼイチャン・カラ(内城)で過ごす。
在りし日のキャラバンが銅像に。曇り空。
いざ、城壁の中へ。
ロシア感あふれる帽子がズラリ。適正価格が分からんが、まあ3~4千円といったところだ。
ハラショー。
カルタ・ミノル。未完のタワー🍊。来るべき青タイルの予行演習だ。
おじいちゃんズと談笑。
向かって右側のプチ王宮的スポットへ(クフナ・アルク)。
あとモスクやメドレセ(神学校)、博物館も城壁内にあった(うろ覚え)。
その後は中庭的スポットへ行き、昼メシ。確かここだったはず↓。
ようやく初・ウズベキ飯。プロフと呼ばれるチャーハンぽいものなんかを食べた気がする。なかなかいけるでな👍
ガイドのDEENは日本滞在経験あり(8年)の日本語ペペロンチーノ。「板橋区」を喩えに使用しがち。28ぐらいで既婚(日本滞在時にお見合い)とのことだが、なかなか羽振りがよさそうだ。いろいろと日本で体験したらしい。
平均寿命や家族観などのウズベキ事情を聴取しつつ時は流れる。平均寿命は65で普通、70で「頑張ったね」ぐらいと短めみたいだ。食習慣や医療事情に由来しているのではなかろうか。
食べ終わるとみやげ物屋をまた物色。陶器おじさん今後も頻出。
黒猫出現。歴史的建造物にはやはり猫がつきものなのか。今後も猫がわりと出てくるが野良犬はほぼ出てこない。イスラームパワーのなせる業か。
ちょっくら上に登ってヒヴァを見渡す。
城壁内に一般住宅もある模様。
戻るときの景色はこんな感じ。オフシーズンのためか人は少なめだ。
結婚式でもよく使われる模様。
ヒヴァ後はトルクメニスタンに陸路で入国。国境ゲート付近まで車で連れて行ってもらった後、DEENとしばしの別れ。
スーツケースを引いての初の徒歩越境。ここで衝撃のグダグダを見る。列という概念がないかのごとく雲霞のごとく窓口に殺到する民衆たち。見よう見まねでPCRらしきこと(鼻に綿棒ツッコミタイプ)をしたり税関申告書らしきものを書いたりする。言葉が全く分からんので不安な難民の気持ちになった。写真NGなので以下の記事を参考にされたい。
焦燥と不安を募らせていたところトルクメニスタン側から英語ガイドが登場。彼のおかげか結局1.5時間くらいかかって突破。
車を乗り換えて英語ガイドと長い道のり。
基本的に街と街の間は荒野なので荒涼とした景色の中をひたすら征く。道があまりよくないので揺れる。天然ガスを輸送するパイプラインに加え、ラクダやロバがたびたびコンニチワする。
時折車を停めて写真撮影。
夜に駆ける☆彡
放し飼いのラクダ🐫を多数確認。
このあと盛大に放尿していた。夕日をその身に浴びながら。
まずは落ち着いて地獄の門。
昔よりだいぶ大人しくなったらしいが迫力十分。昔は10mぐらいの火柱が立ったりもしていたようだが、だいぶ丸くなった模様。そして焚火のように温かい。
ところどころに破損したパイプラインがのぞく。
翌日も含め計4回ぐらい地獄の門行ったなあ。
そういえばトルクメニスタン入ってからずっとネットワークにつながらなかった(トルクメニスタンクオリティ)。外国人への門戸はまだおっかなびっくり開きつつあるようだ。
BBQで夕食。
さすがに外は寒いので中で食べておるぞ。
とりあえず謎の音楽にのせてオドる。
ガイドと撮影。名前は某巡礼の地と同じ名前のメッカ(だったはず)。
寒暖の差が大きく、夜は寒い。ユルタなるゲルっぽいやつで寝る。
めちゃ寒い中星空を眺めるのに飽きたら、寝床へGO。
ユルタ内には例に漏れず歓待のドライフルーツと蝋燭が。
12/3:ダルヴァザ⇒アシガバード
朝じごもん。衛戍地から徒歩で向かう。
アゲイン。朝のじごもんもなかなかオツなものだ。
謎の少女と親戚たち(ホスト)。日本のお菓子をプレゼント。
トルクメニスタンの首都へ向かう。
地獄の門の他にもクレーター的な穴を見学。
荒野を抜けたところで車を洗浄。首都に入るときにキレイにしとかないとバッキンガム宮殿取られるらしい。さすが独裁国家。
しかも車に許されているのは白系の3種の色のみとのこと。
たしかに白ばかり(; ・`д・´)
アシガバッドに入るとそこは白亜の都市。もはや不自然なくらい画一的な建築が並ぶ。旧ソ連感あふれる独裁国家が本気出してきたな、という感じ。ちなみにイランの国境に近い。
ショッピング・ザ・じゅうたん。けっこう高いんだこれが。サイズ次第だが10万以上はしそう。
オシャレめなところでランチ。
その後、馬事公苑らしきところにGO。
なんだか全体的に細身だ。
光沢はアハルテケ感。
漆黒の騎士、降臨⚔🐴
からのぶらり市街観光by car。
人工的すぎんだろ(; ・`д・´) 白と金の洪水だ。
独立記念塔。実は永世中立国らしい。大統領像と衛兵をバックに。
バザールへ。メロン🍈がうまい。その場でカット。
バザールにて。ドライフルーツ多い。
スポーツ村っぽいエリアの中にあるホテル。
もう街全体がこんな感じよ。
ホテルの部屋から眺めるとこんな感じの未来都市感あふれる光景が。
レストラン前にて。MADO辺からやがて翔びたつのだろうか。
夜の市内観光。立体幾何学模様を描くウェディングパレス。
どこか寒々しい感じのする夜景。電気代どんだけ安いんや。
観覧車を発見。中心部の5つのマークは国旗にも描かれておるぞ。
12/4:アシガバード⇒トルクメナバード⇒ブハラ⇒サマルカンド
トルクメニスタンーウズベキスタン国境近くのトルクメナバードまで車で移動し、再度ウズベキスタンへ入国。
そこでDEENと再会。実は本名はシャファルディーンらしい。ブハラまで車で移動。いまさらながらGM製の車がほとんどなのは工場があるかららしい。
なんだかトルクメニスタンに比べると幾分かゆったりした感のあるウズベキスタン。
まずはラビ・ハウズなる公園的中心エリアへ。
たぶんここ。陽光が気持ちよい。1477年に植えたという木の根元で猫が眠っていたぞ。
ドン・キホーテ的なおじさんの銅像(フッジャ・ナスレッディン像)。
こちらは(おそらく)ナディール・ディヴァンベキ・ハナカ。
そういえばたびたび樹木の下部が白く塗られているが、これは防虫剤との情報。
こちらは(おそらく)ナディール・ディヴァンベキ・メドレセ。
大体こういう建物の中庭はみやげ物屋スペースに変貌している。
タキ。みやげ物エリア。
ここはじゅうたんショップね。
ここは金物ショップね。鳥形のはさみに好きな文字を彫ってもらえるぞい。
カラーン・ミナレット。見るだけ。
アルク城。ヒヴァもそうだったが、城壁のなめらか感がええ感じだベキ。
場内に繋がる坂道の横壁にはかつて囚人が収監されていたという。
実はさっきのタキZONEでこのウズベキ帽子をなくしており、哀しみモードだったのだが、運よくこのお城の中のみやげ物ゾーンで再発見することができた。
お城の上からの街並み。帽子を再発見したので気持ちは晴れ晴れしていたのだ。
(もうちとゆっくり見たかったのだが)ブハラを駆け足で散策した後は、電車でサマルカンドへ。
車内はこんな感じでなかなかキレイじゃったぞい。
サマルカンドにつきもした。
このホテルに泊まったぞお。
とりあえず夜レギスタン広場。プロジェクションマッピング的なライトアップをしている日もあるが、今日はなし。
ホテル近くのビビハニム・モスク。中央アジアでも屈指のデカさらしい。
晩メシ後に街をぶらつくとパンチング・マシーン発見。思いきり殴るも、DEENに敗北…。
12/5:サマルカンド⇒タシケント
6時ごろに起きて待機するも、朝のアザーン聞こえず…(朝のお祈り)。
(大丈夫な気持ちになる)おもちを連れてきていたゾ。
ホテルに別れを告げる。
朝ビビハニム・モスク。曙光にきらめく。
ウルグット・バザール。
これまたホテル近くのデカバザール。
グラサンの力強いオバサンから手前の帽子を爆買い。
サマルカンドナンを調達。
う~む、丸い。
賑わっておるぞい。荷重100%の搾りたてジュースがすっぱい。
レギスタン広場。サマルカンドといえばこれ、という代名詞的スポットね。
青い(確信)。
個人的には擬人化されている太陽さんがツボ。虎に乗って鹿という知性を追っているぞ。
やはり、というべきか大体メドレセの中はこんな感じで中庭+2階建ての好演風になっており、かつて学生たちが住んでいた部屋や教室はみやげ物屋に変貌している。パターン分かってきたよ。
在りし日の学びの風景。こたつあったかそう🍊
向かって左右のメドレセは博物館然としているが、真ん中のものはモスク的な感じでちょっと違った感じ。荘厳なイスラーム建築となっているぞ。
もう一生分の壁龕と幾何学模様を過剰摂取したの感がある。
やはりここでも結婚式が。観光地は結婚式スポットとなるのは万国共通と考えてよさそうだ。
さらにシャーヒ・ズィンダ廟群へ。レギスタン広場の陰に隠れているが結構ええスポットやで。ここはぜひとも行ってほしいね。
碧翠のタイルと蒼い空がなかなか善い感じにマッチしておるぞ。
ここでDEENが思いついたように吉田達郎の「サマルカンド・ブルー」を投入。いや、知らない曲ですね…。
この界隈では有名なおっちゃんと記念撮影。
グル・アミール廟。
14世紀中央アジアの英雄ティムールとその一族の墓所。独ソ戦前夜にソ連が掘り起こして学術調査したとか…。
帰路。都市間こんな感じよ。街!⇒荒野…⇒街!⇒みたいな感じ。
その後はタシケント内のレストランで夕食。お誕生日パーチーしたり披露宴的なことしたりと盛り上がっていたね。
12/6:タシケント⇒シムケント(カザフスタン)⇒タシケント
シムケント突撃前にウズベキスタンのタシケント日本人墓地へ。戦後のソ連抑留者で異郷の地に命を落としたものが埋葬されているぞ。
親の顔より見た"May Peace Prevail On Earth"がここにも。
墓守のおっちゃんと。
おっちゃん出とる。
こっちはおっちゃんのオトンみたいだ。
またもや越境。
やる気のなさそうな手荷物検査と入国審査を終え、ゲートを越えたら数十年モノのオンボロ車でタクシーのところまで移動。むろん写真なし。
独立公園らしき場所へ。
なにげに面積めっちゃあるカザフスタン(世界9位、日本の7倍)。埋蔵資源も莫大でミニ・ロシアといった感じだ。
カザフ・ボードの前にたむろしている彼らにどいてもらう。
なんか北の方だけあってか顔がモンゴロイド系なんだわ。
数百メートルくらい追いすがってくる少年。Fumaというどっかで見たようなブランドの服を着ているぞ。
バザール猫。力強く気高く生きているぞ。
あ、どうも(; ・`д・´)
ウズベキスタン・タシケントに戻り、どこか夜遊べるところへということでペプシランドへ。
ホントはマジックシティなるアミューズメントパークらしい。
中はデ〇ズニーランドとひらかたパークを足してNで割ったような感じで、テーマパーク的な街並み、噴水、レギスタン広場などが1/Nスケールになったミニ観光地や、トリックアートやマジック関係の催しものがあるぞお。
やはり国の平均年齢が若い(; ・`д・´)
12/7:タシケント⇒ホジェンド(タジキスタン)
明朝にホテル近くのティムール広場へ。
またもやタジキスタンへ越境。慣れたもの。
カザフスタンでは現地ガイドはDEEN(写真右)が兼任していたのだが、タジキスタンは英語ガイドのフセインが新メンバーとして加入(写真左)。ドライバーとして建築系学生のジョンも(写真左から2番目)。
フセインはとにかく目がでかい。助手席から後ろのわれわれを振り返って身体をひねり"So..."と観光地やよもやまの説明をはじめる光景は深く脳裏に刻まれた。キルギス旅行ガイド時の写真や家族の写真をスマホで見せてくれたりする。ジョンは東欧系の顔立ちであどけなさを残している。
両ガイドはウズベク語とタジク後で通じないのだが、旧共産圏の置き土産のロシア語が共通語として大活躍。汎用語のハラショーが大活躍する。
昼メシ。
パンシャンベ・バザールへ。バザール行きすぎだろ…。
furafuramachiaruki.blog.fc2.com
からのソグド歴史博物館へ。
アレクサンドロスの東征、ティムール帝国の興亡などが滔々と英語で説明されるので、地中海・西アジア・中央アジア史は必修となる。
ここにもティムール。
オマル・ハイヤームやイブン・シーナーなどの名前も出てきて、世界史選択者の面目躍如だ。
その後カモリ・ホジェンド公園へ。お花につつまれた大統領。
ロープウェーに乗ったのだが、これがゆっくりで止まりながら進むから怖いんだ。
夕食時に弾き語りのおじさん乱入。
カチューシャ歌いがちね。
初・水タバコ。めっちゃむせる。ときにセンシティヴな話を交えながら、ミュージックを流しながら、むせながら、夜は更けていった…。
「もすかう」や「アイドル」を流すも反応薄く…。
実は我々がこの中で最年長だったりする。今日はホジェンド泊だ。
12/8:ホジェンド⇒タシケント⇒(30,000feet)
アルバブ文化パレスへ。大統領の肖像飾りがち。
劇場風の近代以降のタジキスタンの功労者が顕彰されているといったところ。現地の人はおじさんたちの区別ついてるの?
こたつ上で茶を淹れるおじさん。
タシケントに戻る。
日本人抑留者が建設に携わったことでおなじみナヴォイ劇場へ。
地下鉄で移動。ロシア系宇宙飛行士が壁に。
スーパーででお菓子お土産を漁った後、近くのモスクへ。お祈り場所の内部まで覗きに行ったところ、オッちゃんがいちゃもんをつけてくる。諍いの詳細は不明だが、なんで異教徒/観光客/女性が入って来とんねんといちゃもんをつけてきたところ、DEENがオレは間違ったことはしていない。イマーム(教父的ポジション)にどっちが正しいか決めてもらおうやんけ! と啖呵を切ったところ覚えてやがれとトンズラしたらしい。
遅めの昼メシ。大衆食堂的なところで相席となった学生っぽいメンバーと撮影。ウズベキ人激似の日本人と日本人激似のウズベキ人の話で盛り上がったりした。
からのチョルス―・バザール。\ウズベキスタン/とデカデカと表に書かれたお土産を探すも発見できず。陶器やマトリョーシカおみやげを入手。
肉とスパイスの匂いが充満しておる。
ヘイラッシャイ! 大体こんな服装。
またもや猫発見。強く生きていた。
12/9:(30,000feet)⇒仁川⇒関空⇒岡山
とくに書くことなし。ただただ、労働の毎日に戻ることだけを思い出さないようにしていた…。朝食をほおばりつつ、仁川の飛行場を眺めながら…。
雑感
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旧ソ連の遺産多し。第二言語であるロシア語、画一的な住宅や街並み、資源頼りの経済開発・開発独裁…。独立後30年程度しか経っていないので、旧ソ連の一部だった時代については複雑な感情を抱いているようだ。独り立ちしたいのだが、親分の一部だった時代の憧憬も捨てきれないというか…。長い歴史の中で中国⇒イスラーム世界⇒ロシアと強国3エリアの支配を代わる代わる受けてきたので、なかなか自身のアイデンティティを探しあぐねているのかもしれない。とりあえずウズベキスタンについていえば、かつての東西交易や文化交流の結節点であった悠久の歴史、ティムールが一代で築いた帝国の遺産を中心に据えることにしたみたいだ。まあ昔は国家や民族の境界があいまいだったから大部分の歴史は各国で共有しているみたいだ。各国のデータは以下を参照されたい。
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トルクメニスタンは個人でビザ申請等行うのがめんどそうだったので旅行代理店ファイブスタークラブを使用。旅行代理店やパッケージツアーを使うのは「奔流中国」以来だが、やはり便利。ただし費用がマージン込みで数十%高めになるのと、詰め込み気味の旅程でちょっと疲れること、観光地を意識的にインプットしないと記憶が忘却の彼方に飛び去ってしまうことなどのデメリットもある。訪問国を稼ぐために弾丸ツアーにしすぎた感があるので、もうちょっと余裕をもってのんびり街歩き時間を作ってもよかったかもしれない。
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ガイドが付きっきりなのでいろいろと楽。ウズベキスタンは日本語ガイド多数在籍しているが、他の国は英語ガイドしかいない模様。観光地のことだけじゃなく普段の生活のことやイスラーム圏のカルチャーについても聞いてみよう。家族観、結婚観、価値観、遊び、旅行、趣味などなど。儲かっているみたいだったので富裕層向けの観光ガイドをやるのもいいかもしれない。
- 一方で、旧共産圏かムスリムによるものかはわからないが、完全には歩み寄れない一線みたいなものも感じなくはなかったなあ。異質感というか。
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4スタンを回ったのだが、ウズベキスタンのタシケントが拠点となっている。正直ウズベキスタン以外はオマケと思っていたのだが、ところがどっこいなかなか奥深い。特にトルクメニスタンは意外と面白かった。カザフスタンとタジキスタンはタシケント近傍しか行けなかったので、もっと首都あたりを見てみたい気もする。キルギスは自然を愛する者向け。モンゴル辺り~イランあたりの謎地帯(つまり中央アジア)へのイメージ醸成、解像度向上に貢献した。
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ファストファッションに身を包んだ若者もいるが、鳥打帽+ジャケットのおじさん、かぶりものおばさんなど、古き良き旧ソ連スタイルのシニアも多数残存。
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特別美形というわけでもないが、西アジア系、北東のモンゴル系、ヨーロッパ系などの系統が入り混じっている感じだ。ウズベキスタンは中央アジア諸国の真ん中にあるので人種のるつぼといったところ。
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いずれの都市も市内はゴミが少なくにおいもそんなに。旧ソ連の街並みは思ったより近代的。別に危険を感じることもない。だが町を離れると汚くなるのう。乾燥しているのでそんなににおわないが。ただタシケントの空気は悪い。咳がめっちゃ出る。
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イスラム世界あるあるなのか、モスク・メドレセ・ミナレットの形や構造が似ておりだんだん区別がつかなくなっていった。タイの寺でも同じ印象を受けたのだが。
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ソムだのマナトだの通貨が多く換算に苦労する。米ドル基準で把握すべし(ガイドが要れば立て替えてもらえるはず)。ウズベキスタンのソムは10,000円分くらい換金してもいいかもしれない(≒100万ソム)。物価は非先進国あるあるで中高級価格帯は日本同様だが、日常品は数分の一といったところ。
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英語よりもロシア語の方が便利そうだったので、もしロシア語を学んでいたのであれば活用されたい。ハラショー。それにしてもここら辺の人は日常的に数か国語話さないといけないんだなあ。
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イモㇳのWifiをレンタルしていったのだが、ポケットWifiだとグループで一体で行動しないといけないのと充電が必要なことがありそこまで使い勝手がよくない。国境付近で不安定になるし。というわけで、これよりも携帯ごとに個別に世界データ定額のサービスを利用したり、格安SIMを買った方がいいかも。なおトルクメニスタンではほぼネット使えないので注意。
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地球の歩き方によると、分量的にはウズベキスタン8割、カザフスタン1割、その他1割といったところ。カザフスタンは首都のヌルスルタンに行けなかったがなかなか面白そう。キルギスは自然推し向けかな。トルクメニスタンは結構ありだと思うので、もし中央アジア行くなら、メインはウズベキスタン、少し余裕があればトルクメニスタンかカザフスタンを追加するといったところかな。
親の顔より見たプロフ(ピラフ、チャーハン)。油が多い。
ギョーザみたいなやつ。
スープwith肉団子・麺。
きしめん+馬肉。
ザクロ入りサラッド。
そしてナン。
〇道中で読んでいた本・映画(後日アップデート)
『工学の歴史』
『自分の中に毒を持て』
『サド侯爵の生涯』
『シベリア抑留』
〇関連書籍:
〇イスラーム関連: