評価:B+
【評】
エクリチュールとして与えられている『コーラン』のテキストを、もとの状況シチュエーションまで引き戻して、神が預言者に親しく語りかけるという具体的な発話行為パロールの状況において、『コーラン』のコトバをまず理解する。そして、(中略)神(A)が語り、ムハンマド(B)がそれを了解する。その第一次的コミュニケーションの底に伏在し、それを下から支えている根源的世界了解、存在感覚、気分的世界像、とでも呼ぶべきものを探り出してみようというのです。
「審判」といえば、すぐ天地の終末と、死者の地下からの生きかえりが心に浮かぶ。だから、もし「審判ディーン」というコトバが発音されたならば、同時に、潜在的な「時クワト」というコトバと「復活キヤーマ」というコトバが発音されたと同じことなのです。(中略)
たった一つの「審きディーン」というコトバでも、そのまわりに群り渦巻く概念やイマージュまで考えると、なかなか一筋縄でいくようなものではない。しかし、それを捉えなければ「審き」一つにしても理解したことにはならないのです。
第一章「開扉」を中心に
紙面の文字を読み取るだけでなく、そのテキストに伏在する多層的コンテクストを共時的に読み取るトレーニング、もといアラビア語講座、イスラーム講座を敢行。
テキストに伏在するコンテクストの有機的な連関をイメージすべく、いろいろな予備知識を提供する。
正確な知識と豊饒な想像力なくして書物を正確に読むのは難しい。
なかなか美しいイマージュじゃないでしょうか、
いかにも砂漠的なイマージュじゃないでしょうか、
とかく人間はムシがいい、
Oさんの質問は、日本語が大変難しくて、それ自体が解釈学を必要とするみたいですね、
と実況中継からは講義のようすが窺えておもしろい。