【概要】
著者(監督):中谷宇吉郎 樋口敬二編
人工雪の研究でおなじみ中谷宇吉郎の随筆集。寺田寅彦の薫陶のためか守備範囲は雪や気象学のみならず物理や化学、地学全般にわたる。科学研究においては「無邪気なそして純粋な興味が尊い」とのこと。ちゃんとオチもついてあり読み物としても面白い。
基本的には科学に関するものが多いが、幼少期の「反科学的」読書体験や、理科教師のよもやま話などの心の原風景。息も凍る極寒の実験風景、好奇心ドリブンな研究の進め方、師・寺田寅彦の思い出。心の琴線に触れる文章が多い。想い出については「人には笑われるかもしれないが、自分だけでは、何時までもそっと胸に抱いておくつもりである」とのこと。
他にも分析と綜合とか、原子爆弾の惨禍と原子力の平和利用とか、国民の科学リテラシー向上とか、有効数字とか。ユダヤ人追放後のドイツ論文の質低下とか。「夏の夜の浴衣がけの散歩」の良さみとか。
寺田寅彦「ねえ君、不思議だと思いませんか」「研究を続けることが大切です。一度線香の火を消したら駄目ですよ」☜いや、寺田寅彦好きすぎだろ。
【詳細】
<目次>
Ⅰ
- 雪の十勝
- 雪を作る話
- 雪雑記
- 「霜柱の研究」について
Ⅱ
- 私の生まれた家
- 『西遊記』の夢
- 簪を挿した蛇
- 九谷焼
- 湯布院行
- 一人の無名作家
- 『日本石器時代提要』のこと
- 茶碗の曲線
- 日本のこころ
- 南画を描く話
- I駅の一夜
- 流言蜚語
- 硝子を破る者
- 原子爆弾雑話
- イグアノドンの唄
- 面白味
- かぶらずし
- おにぎりの味
- 貝鍋の唄
- サラダの謎
Ⅲ
- 指導者としての寺田先生
- 寺田先生の追憶
- 「茶碗の湯」のことなど
- 寺田先生と銀座
- 天災は忘れた頃来る
- 線香の火
- 比較科学論
Ⅳ
解説 (樋口敬二)
<メモ>
〇寺田寅彦
- 「研究を続けることが大切です。一度線香の火を消したら駄目ですよ」
- 「君、若い連中を教育するには、無限に気を長く持たなければいかんよ」
- 「相手の人の身にもなって考えなくちゃ」
- 「それから時々根に肥料をやる事も忘れないで」
- 「ねえ君、不思議だと思いませんか」
- 「先生の流儀は、或る現象の研究には、先ずその現象自身をよく「見る」というのである」
〇北村喜八
- 「二人して緋の帳深くたれこめて十六億の人に背かむ」
〇雪の十勝
この白銀荘は山小屋といっても、実は山林監視人であるO老人の家であって、普通には開放していないので、内部は仲々立派にできている。階下が食堂兼居室で、普通の山小屋の体裁に真中に大きい薪ストーブがあって、二階が寝室になっている。この小屋の附近は不思議と風当りが少いので、下のストーヴの暖みに気を許して、寝室の毛布にくるまっていると、自分たちにはこの小屋の二階が何処よりも安らかな眠りの場所である。
〇雪を作る話
冷徹無比の結晶母体、鋭い輪廓、その中に纏められた変化無限の花模様、それらが全くの透明で何らの濁りの色を含んでいないだけに、ちょっとその特殊の美しさは比喩を見出すことが困難である。
〇雪雑記
一度手かけて見ると、急に雪に対する愛着が出て来て、その後毎年冬になるのを待ち兼ねるようになった。そして前の年に見たと同じような形の雪の結晶と顕微鏡の下で会うのを楽しみにするようになった。
寒い目にあって散々苦労をして、こんな雪の研究なんかをしても、さてそれが一体何かの役に立つのかといわれれば、本当のところはまだ自分にも何ら確信はない。しかし面白いことは随分面白いと自分では思っている。 世の中には面白くさえもないものも沢山あるのだから、こんな研究も一つ位はあっても良いだろうと自ら慰めている次第である。
〇「霜柱の研究」について
無邪気なそして純粋な興味が尊いのであって、良い科学的の研究をするにはそのような気持ちが一番大切なのである。 良い研究は苦虫を噛み潰したような顔をしているか、妙に深刻な表情をしていなければ出来ぬと思う人があったら、それは大変な間違いである。
何でも予期せぬ不思議な現象に当ったら、それを逃さぬようにすることが研究の内容を豊富にする一つのこつであるということは、勿論いうまでもないことであるが、よく心得ているべきことである。なるたけ沢山にそのような奇妙な現象にぶっつかるには、この研究者たちのやられたように、何か思い付いたことがあったら、億劫がらずに「ちょっとやって見る」ということが大切である。思い付きというものは、一度手をつけて置けば忘れないが、そのままにして置くと、どんどん忘れてしまうものである。
第一にそして一番重要なことは純粋な興味を持つということである。第二には厳寒の二月、仙石原で徹夜するという程度の熱心さを持つことである。第三には思い付いたことを、億劫がらずに直ぐ試みて見る頭の勤勉さを持つことである。第四には偶然に遭遇した現象をよく捕え、それを見逃さぬこと、即ちいつも眼を開いて実験をすることである。第五には新しい領域の仕事を始める時に怖がらぬことである。この研究者たちが土の分析に手を付けた時のように平気で始めることである。それには余りに多くの知識と打算とが一番邪魔になる。第六には妙にこだわらぬこと、これは何でもないようで、その実なかなか難しいことである。そして以上述べたそれらの色々の心得の外に、研究の全体に通じて或る直観的な推理を働かすことである。
〇南画を描く話
この幅が立派に表装されたところで、書斎の床の間にかけて、一人で眺め入った。そしたら仙台の秋が近々と蘇って来た。鴨の来る高い欅の梢はすっかり秋の色にそまり、芝生の中に一叢咲き乱れているコスモスの花は、強い日差しに照り映えていた。子供たちは、広い芝生を喜んで、いつまでも馳け廻っている。六尺の縁をへだてて広い座敷には、朱の毛氈がしかれ、真白な紙がちらばっていた。澄んだ秋の空気は、座敷の隅まではいって来た。 そして床の間には、漱石先生の詩の双幅がかかっていた。
I駅の一夜
前後一時間ばかり真暗な中をさまよった末に、初めて明るい部屋に通された。 四畳半の部屋である。美しい声の主は紺絣のもんぺをはき、同じ紺絣のちゃんちゃんを着ていた。そして丁寧に御辞儀をされた。 三十近い智的な美しい人である。
先方も驚いたと言われるが、私も一層驚いた。誠に思いがけない時に、思いがけない所で、思いがけない人に会うものである。その人よりも更に驚いたのはその部屋である。四畳半の二つの壁がすっかり本棚になっていて、それに一杯本がつまっている。 岩波文庫が一棚ぎっしり並んでいて、その下に「国史大系」だの、『古事記伝』だの、「続群書類従」だのという本がすっかり揃っているのである。そして今一方の本棚には、アンドレ・モロアの『英国史』とエブリマンらしい英書が並んでいる。畳の上にもうず高く本が積まれていて、やっと蒲団を敷くくらいの畳があいているだけである。私はたった今の今まで、東北線の寒駅の暗い街をさまよい歩いていたことをすっかり忘れてしまっていた。
私は何だか日本の国力というものが、こういう人の知らない土地で、人に知られない姿で、幽かに培養されているのではないかという気がして来て、静かに夫人の話に聞き入っていた。
〇原子爆弾雑話
そしてそれほどまでに科学者以外の人々が科学に無理解であるということは、煎じつめたところ国力の不足に起因するのであろう。
新しい日本の建設は、先ず何よりも国力の充実に始まらねばならない。そして本当に充実した国力からのみ新しい次の時代の日本の科学が産まれるのである。もっともこういう風に言うと、そのようにして産まれた次の時代の日本の科学というものが、今日のものよりも更に強力な新しい原子爆弾の発明を目指しているように誤解されるかもしれない。しかし私は負け惜しみでなく、原子爆弾が我が国で発明されなかったことを、我が民族の将来のためには有難いことではなかろうかと思っている。 「原子核内の勢力が兵器に利用される日が来ない方が人類のためには望ましい」という考は、八年前も今も変らない。今回の原子爆弾の残虐性を知ってからは、科学もとうとう来るべき所まで来たという気持になった。
今もリテラシーは大して上がってないのだ(; ・`д・´)
〇寺田先生の追憶
常磐線の暗い車窓を眺めながら、静かに語り出される御話を伺っている中に、段々切迫した気持がほぐれて来て、今にも涙が零れそうになって困った。
講義は午前中二、三時間だけ聴いて、あとは実験室の片隅で鑢がけや盤陀付けで小さい実験装置の部分品を作ったり、漫談に花を咲かせたり、時にはビーカーで湯を沸して紅茶を淹れて飲んだりしていた。
おおらかすぎだろ(; ・`д・´)
先生は毎日のように午後になるとちょっと顔を出された。そしてその小さい腰かけにちょこんと腰を下して、悠々と朝日をふかしながら、雑然たる三つの実験台を等分に眺めながら、御機嫌であった。
〇科学と文化
それで最後に、中の上位の科学者になら誰にでも出来て、しかも或る程度まで間違いなく科学の知識の普及と、科学的な考え方の教授とが同時に出来るという方法を考えて見ることとする。それは結論をいってしまえば、ある自然現象について如何なる疑問を起し、如何にしてその疑問を学問的の言葉に翻訳し、それをどういう方法で探究して行ったか、そして現在どういう点までが明かになり、どういう点が益々不思議となって残っているかということを、筋だけちゃんと説明するのである。実際のところこういってしまえば何でもないが、これすらなかなかむつかしいのである。