【概要】
著者(監督):三宅香帆
脳科学的なアレではなく、「花束みたいな恋をした」をとっかかりに、
本書は、日本近代以降の労働史と読書史を並べて俯瞰することによって、「歴史上、日本人はどうやって働きながら本を読んできたのか? そしてなぜ現代の私たちは、働きながら本を読むことに困難を感じているのか?」という問いについて考えた本です。
近代以降の図書館や書店数の増加、円本ブーム、歴史小説の隆盛、自己啓発書の流行など、読書史・労働史を振り返る。
- 明治・大正期:教養-->新興中間層(読書階級)が自らを差別化アピールするための読書、修養-->労働者階級のそれ
- 昭和前期・高度経済成長期:読書文化大衆化。この時代が読書文化の最盛期(?)。大学全入時代ではなく、進学できなかった人の学歴コンプがまだ残っており、教養で自らを高める気概の残滓が残っていた。
- 昭和後期~:ところが、80-90年代以降に新自由主義のあおりや日本経済の成長鈍化を受け、社会の志向する価値観が己の経済的な成功と同一化されるように。それに結びつかない行動や知識はノイズとみなされ、教養が労働の道具に矮小化されつつある。ノイズの少ない自己啓発書は売れ続けていることからも、ノイズ性の少ない情報(ネット)を追い求めるようになってきた。
- これから:息苦しく持続可能でないので、「半身で働く社会」を目指し、ノイズを積極的に求める社会=働いていても本が読める社会にしていこうや。
自己表現や自己啓発への欲望を、エリート層が蔑視する。そのような構造は、本書で見てきたように、明治期の夏目漱石が描いた『門』から、80年代のカルチャーセンターへのまなざし、そして現代のオンラインサロンへの言説に至るまで、繰り返されている。
-->ありますね。
【詳細】
<目次>
- まえがき 本が読めなかったから、会社をやめました
- 序章 労働と読書は両立しない?
- 第一章 労働を煽る自己啓発書の誕生―明治時代
- 第二章 「教養」が隔てたサラリーマン階級と労働者階級―大正時代
- 第三章 戦前サラリーマンはなぜ「円本」を買ったのか?―昭和戦前・戦中
- 第四章 「ビジネスマン」に読まれたベストセラー―1950~60年代
- 第五章 司馬遼太郎の文庫本を読むサラリーマン―1970年代
- 第六章 女たちのカルチャーセンターとミリオンセラー―1980年代
- 第七章 行動と経済の時代への転換点―1990年代
- 第八章 仕事がアイデンティティになる社会―2000年代
- 第九章 読書は人生の「ノイズ」なのか?―2010年代
- 最終章 「全身全霊」をやめませんか
- あとがき 働きながら本を読むコツをお伝えします
<メモ>
実は京大生。何とは言わないが角度による。