【概要】
著者(監督):浅田次郎
占守島の戦いというハイライトに向けて人が集められていくのだが、そこまでが長い。そして溜める割には戦争部分があっさり戦闘詳報的な無機質な分で終了する。
そう、これは戦争そのものを描くのではなく市井の人々の群像劇を描くものだからだ。浅田次郎だしね。陸軍参謀本部作戦課のエリート、東京外大卒の洋書翻訳者、若年の町医者、歴戦の傷痍鬼軍曹、満洲叩き上げの戦車乗り、少年戦車兵、疎開先から脱走する少女と少年、勤労動員された女学生、ソ連の陸軍士官、人情味あるやくざ者などなど。名前が付いている人だけでも数十人登場し、章ごとに登場人物が交代、多層的に物語世界が実感を帯びたものになっていく。彼らのセリフや手紙の文体が千変万化するあたりはJIRO人情節の面目躍如といったところか。たとえば下の2つの対比。
「君は自分のことを、至らぬ女だと思ってゐるに違ひない。何故なら君は、誰にも增して、苦惱し、悔悟し、逡巡し續けてゐる女だから。でも僕は、苦惱し、悔悟し、逡巡し續けてる君を愛し、かつ尊敬してゐます。人は皆、苦惱し、悔悟し、逡巡することを忘れてしまつたのですから」
「バカワ熊一人デスガ 軍隊デワ熊ガ上官ナノデス。軍隊ワヨイトコロデス」
基本的には「おもさげながんす」などの岩手弁が多い。
まあとにかく、
北方領土返せ!(千島列島含む)
露國斷固膺懲すべし👀
【詳細】
<メモ>
(上)
「いったい何の因果で齢も氏素性もちがう兵隊が四人、赤紙一枚で引っぱられて国境の島に向かうのでしょう」
(中)
「ただ、この星明りの線路が、戦争のない世界に続いていると信じた」
少年少女が登場しセンチメンタル成分を導入。先生も苦悩し、悔悟し、逡巡する。
「カムイ・ウン・クレ!(神、われらを造りたもう)」などのアイヌの歴史、近代の千島開発の歴史、宮沢賢治成分も入れ下ごしらえは完了。
ついこの間まで人の子であり親であり夫であり、兄弟であった男たちが、そしてそれ
ばかりではなく戦争とはまるで無縁のはずの、大手町の勤め人や学生や、八百屋や魚屋や、旅館の番頭や寄席の芸人や、郵便配達夫や都電の運転士や駅員や、むろん農家の働き手も大工も左官も、平和な社会を等しく担っていた男たちの誰も彼もが見境なく赤紙一枚で軍隊に引っ張られ、どこに行くのかもわからぬまま船やら汽車やらに詰めこまれ、そして世界地図の中のいったいどこかもわからぬ場所で、鋼鉄の雨に打たれて死んだ。
空襲から逃げ惑うばかりではない戦争の実体を、久子はようやく知った。
こういった戦争経験世代と触れていた世代(JIROなど)から世代交代していったら、こういった戦争や銃後の描写はどうなるんだ(もうなってるが)。
(下)
軽井沢でソ連陸軍士官と少年少女が会うイベントが発生。たまにファンタジー要素が入るのがJIRO。
「少しも大丈夫ではないとき、人はみなそうと信じ、そうと信じさせるように「大丈夫」と口にした」
「やはり花は綺麗です。花心に缺ける僕どころか、百戰練磨の兵隊たちですら、花咲く草原を征く時には聲もなく見惚れるのです。磨き上げた鋼鐵の戦車の砲塔に、かんざしのやうに野の花が飾られてゐる姿なども見かけました」
そんな彼らも第八章60の戦闘詳報で三人称的に死んでいく。富永、大屋、中松そして片岡。戦後は抑留される菊池軍医視点で吉江少佐の死が描かれる。
●解説が梯久美子。
占守島と言えば。
次郎。