【概要】
著者(監督):小林照幸
声に出して読みたい早口言葉「日本住血吸虫症」を通じ、近代日本の病理学や公衆衛生の発展を瞥見できる。
「日本住血吸虫症の恐ろしさ」と「多くの先人の努力」。これらを伝え残したい、というのが本書の執筆の強い原点となった。
藤井好直が『片山記』を著して世に奇病を知らしめ、患者の母なかが『死体解剖御願』を提出して解剖による原因解明の先鞭をつけた。牛を使った対照実験(経皮感染)やフィールドワーク観察による中間宿主の発見、小冊子による啓発『俺(わし)は地方病博士だ 日本住血吸虫の話』、長期にわたる殺貝の取り組み等、連綿とした苦闘の系譜が死の貝を滅ぼすに至った。
数ある寄生虫の中でも、門脈に住むのは日本住血吸虫だけだ。新鮮な栄養に富む血
液を吸い放題、しかも雄と雌が抱き合って暮らし、常に逢瀬を楽しむ。まったく助平な、世界で一番幸せな生物だと学者達は揶揄もした。
桂田富士郎、藤浪鑑、宮入慶之助ら多くの先達によって、謎に包まれていた奇病は、日本住血吸虫症と名付けられて正体が明らかにされた。官民一体の力で殺貝と治療の基礎がつくられ、社会生活と経済力の向上の恩恵も受けて、百年余りで日本は完全に駆逐したといってよい成果を得て、世界で初めて住血吸虫症の苦しみから解放された国となったのである。
なぜ、ミヤイリガイが甲府盆地はじめ日本国内の限られた地域にしか見られないのか、という疑問は、今も医学、生物学をはじめ多くの学者たちを悩ませている。生物学、遺伝学、地質学、気象学、地理学などあらゆる観点からの研究が今も行われているが、長さ一センチに満たぬちっぽけな褐色の巻き貝に秘められた“大きな謎”については、結局のところ、
「日本住血吸虫症の流行があったからミヤイリガイが発見され、ミヤイリガイがいたから日本住血吸虫症の流行があった。ミヤイリガイ自身は、豊かな自然に恵まれた場所に居を選んだのだろう」
と結論するしかないらしい。
【詳細】
<目次>
- 第1章 死体解剖御願
- 第2章 猫の名は“姫”
- 第3章 長靴を履いた牛
- 第4章 病院列車
- 第5章 毛沢東の詩
- 第6章 果てしなき謎
- あとがき
- 補章
- 参考文献
<メモ>
誰が言ったかWikipedia最大文学との噂。
残り2つ。