【概要】
著者(監督):石井正紀
油の切れ目が武運の切れ目なのだが、南洋「パレンバンへ多くの石油人たちが徴員として送り込まれたことは、知る人ぞのみ知る事柄として、歴史の片隅に追いやられている」。石油化学工場を分捕っても、補修や運転オペレータが必要。設計や建設を行う技術者・技官も必要。事務方も必要。そんな裏方たちの物語。
当時の日本にはまだ少なかった石化プラント技術者をはじめ、お嬢さん部隊、陸海軍関係者が企て実行した石油獲得作戦に関する群像劇。著者は元千代田化工で。創業者も登場。そんな彼らに対する鎮魂歌でもある。派遣人員7000名のうち1650名死亡とかなりの死亡率。
着実に実行される段階的な対日禁輸、空挺部隊を主軸とするパレンバン急襲作戦を軸とした南方石油獲得作戦、当初は得られた現地民の支援、意外とリッチな現地の生活、資源を融通できない陸海軍な統合失調、軍人と徴員の埋められない格差などなど。
戦前期の日本の石油需給バランスにも触れ、国内消費量を上回る産出量を誇るパレンバンの油田を奪取できれば戦争継続できそうだと判断した首脳部の皮算用を追体験できる。 ※海上輸送を安全に行えれば…。海軍が完全に壊滅した1944年半ば以降は海上輸送はほぼ途絶。
「南方燃料廠」が戦後の石油人材を輩出した点は評価でき、戦後の石油化学企業やエンジニアリング会社の勃興に繋がった。石油化学技術史的な面もあり、司馬遼太郎も「昭和前期の一角に電灯」を灯したと労をねぎらったらしい。
ただひとついい切り得るのは、日本を敗戦に導いた要因はいくつか挙げることができるのであろうが、結局は、石油の枯渇以外の何物でもなかったことである。文字通り油断であった。油のない国は自然に消滅せざるを得なかったのである。これだけは正しい。
なにはともあれ、日本軍は南方の油田をもとめて周到なる計画を立て、そして行動に移った。そのために、数多くの石油人たちが国の命令に従い、遠く南方にわたった。彼らは密林の奥へ分け入り、石油を採掘し、精製して日本へ還送することにより戦争遂行の一端を担った。いや、彼らのおかげで戦争が遂行できたといっても過言ではない。
彼らの努力は敗戦とともに、結局は南溟に消えてしまった。武器こそ手にしなかった技術部隊ではあったが、お国のために石油を採ることが、石油人たちにとっての太平洋戦争であった。彼らは軍人以上に立派に戦った戦士であった。
【詳細】
<目次>
- 第1章 南十字星の下へ
- 第2章 戦争か屈伏か
- 第3章 艱難辛苦の末に
- 第4章 石油戦の尖兵
- 第5章 神話の崩壊
- 第6章 天国と地獄
- 第7章 苦難の道のり
- 第8章 焦土の中から
<メモ>
〇石油量のイメージ:
開戦前:海軍650万㎘、陸軍120万㎘
国内消費量:400万㎘(1938)
予想消費量:海軍280万㎘、陸軍100万㎘(民生や発電、輸送は統制経済だから無視?)
パレンバン産出量:470万㎘
⇒いけるやん!(問題なく産出・輸送できれば)
空挺部隊のイメージ: