【概要】
著者(監督):高杉良
日本触媒の(実質)創業者・八谷泰造の人生を描く。50~60年代の石油化学工業の勃興期を支えた一人。車中の直談判にみられるようなモーレツ姿勢、苦学して工学博士を取得する努力と根性、時代が生んだ男だったのかも。著者が本人に会ったことがあるというのはおいしい。
反応および反応器の詳細や爆発事故、プラント建設、近代化する化学設備など、化学メーカーの読者はグッとくるものがあるのでは。
【詳細】
<目次>
- 第一章 車中直訴
- 第二章 艱難辛苦
- 第三章 上昇気流
- 第四章 経営危機
- 第五章 仲人一号
- 第六章 技術革新
- 第七章 乾坤一擲
- 第八章 千載一遇
- 第九章 社員教育
- 第十章 一期一会
- 第十一章 亭主関白
- 第十二章 技術輸出
- 第十三章 心臓発作
- 第十四章 夫婦喧嘩
- 第十五章 人生劇場
<メモ>
- 排ガスが目に染みる中で温度測定してたとか、二次触媒層を設けて副生物を製品化したとか、廃スクリューシャフトでオートクレーブにしたとか、ガス漏れ時にメカシやガスケット材質を変えたとか、化学メーカーの人は石油化学勃興期の熱量を感じられるのでは。
- 七色の虹を追いかけていた八谷さん。熱情と心遣いに溢れた感情量多めのオッちゃんだった模様。広島弁再生余裕でした。
- 社長宅へのお呼ばれ晩餐とか、部下の縁談とか、亭主関白とか…昭和の熱風を感じる。
- 無水フタル酸プラント爆発、川崎工場建設、ソ連への技術輸出、尼崎工場撤退など、けっこうハイライトがたくさんあるよ。
「一千万円出しましょう。富士製鉄も、スタートしたばかりで、決して楽じゃないが、八谷博士の将来に賭けようじゃないですか。あなたとは、同郷のよしみということもあるし、ナフタリンを買うてもろうてもいる。こうしてわざわざ僕に会いに来てくれたのもなにかの縁でしょう」
~~7年後~~
「どかんと、十億円の投資をするまでになったんだねぇ。八谷君に汽車の中で、一千万円の出資を求められたのは、いつだったかなあ」
「昭和二十五年の十一月です」
「あれから、七年しか経っておらんのだねぇ。広島弁丸出しで、熱っぽくまくしたてられたのをきのうのことのように憶えてるよ」
「若気の至りです」
「いやあ、凄い迫力だった。なんというか、燃えさかる炎のような……。お互い若かったから、こころざしの高さにおいては誰にも負けなかったし、情熱を持っていた……」
升田は、二人が往時を偲んで、感慨無量の面持ちで話しているのを手酌でビールを飲みながら黙って聞いていた。なにかしら、ゆったりとしたいい心地だった。
外国から技術買うてやるくらいなら、やらんほうがええ。外国に負けない技術を開発すればええじゃろうが。
どんな困難に遭遇しようとも、将来の向上に向けてほんの少しずつでも歩んでいる人は必ず成功します。逆に現在どんなに恵まれていても、現状に安住している人は失敗します。最後に、"日触精神"のエッセンスとも言うベき"社訓"を披露して、わたくしの挨拶に替えさせていただきます」
八谷は少年のように顔をまっ赤に染めて声を張りあげた。
「ひとつ、われわれはすべて誠実をもって生活の信条としよう。ひとつ、われわれは知恵と勇気をもって百の空論より一つの実行を心がけよう。ひとつ、われわれは互いに礼節を重んじ協調して和の世界を実現しよう。ひとつ、われわれは創意を働かせ技術の向上と仕事の改善に努めよう。ひとつ、われわれはすぐれた製品を世に送り社会の繁栄に貢献しよう」
「昔、無水フタール酸設備のスタートアップでは苦労したけいのう。各自持ち場に着いて、ガス洩れに注意しながらバルブを徐々に開くんじゃが、資材も不足し、突貫工事じゃけい、結晶室などからようガスが洩れるんじゃ。耐酸セメント塗って、応急措置してのう。決まって反応器の温度の上昇が深夜に及ぶんじゃ。何日も連続作業が続いてみんなくたくたじゃけい。朝の太陽のまぶしさというたらないんじゃ。結晶室から、きれいな針状の結晶を一握り取り出して、神前に供えて、感激に浸ったことをよう憶えとる」
叱るとはしかとあることを教えることで感情を混じえて叱るのは怒ることである。叱ることは親切である。部下を叱ることさえできない人は人の上に立つ資格はない。
会社もだんだん大きくなると、私が常に言う反応速度係数が平衡の状態になった感が深い。反応速度を増大する新しい触媒を発見しなければ、従来辿って来たこの会社の進歩の速度が止まって、平凡な世のありふれた会社になってしまうことを心配する。
<その他>
・無水フタル酸製造技術の変遷
https://www.jstage.jst.go.jp/article/yukigoseikyokaishi1943/35/10/35_10_848/_pdf/-char/ja