Javaさんのお部屋(サム・ジーヴァ帝国図書館)

Javaさんのお部屋です。引っ越しました。詳しくは「はじめに」を読んでね。スマホ版は全体像が見えにくいから、PC版と切り替えながら見てね。

技術者たちの敗戦

文庫 技術者たちの敗戦 (草思社文庫)

【概要】
著者(監督):前間孝則

堀越二郎や島武雄といったエース級技術者を中心に、彼らの遺した生き様や技術的遺産をたどる。戦争が終わっても人や技術は残る。当時の関係者へのインタビューも行っているのでドキュメンタリー要素もある。著者も技術者なので○。

 

【詳細】
<目次>

  • 第1章 三菱零戦設計チームの敗戦―堀越二郎・曽根嘉年の敗戦(大地震による工場機能停止;次第に敗戦を覚悟 ほか)
  • 第2章 新幹線のスタートは爆撃下の疎開先から―島秀雄の敗戦(日本を代表する工業製品「シンカンセン」;学者のようなエンジニア ほか)
  • 第3章 戦犯工場の「ドクター合理化」―真藤恒の敗戦(「革命の志士」の電電改革;表芸だけではやっていけない ほか)
  • 第4章 なぜ日本の「電探」開発は遅れたのか―緒方研二の敗戦(日本はなぜ太平洋戦争に敗れたのか;戦後家電メーカーを支えた人々 ほか)
  • 第5章 翼をもぎとられた戦後―中村良夫の敗戦(日本のF1ブーム;ダンディな元技術屋 ほか)

 

<メモ>

それは、技術者として彼らが体験した戦争あるいは敗戦のもつ意味についてである。それが戦後の生き方や姿勢、大げさにいえば、彼らが身につけることになった思想や哲学にいかなる意味合いをもったのであろうかとする関心である。
さらに断定的にいえば、戦争や敗戦の体験を、ただ単に受け身としてとらえるのではない。自らにとってきわめて重要で、より深い次元で受け止めた技術者ほど、戦後において意義ある仕事を成し遂げていると思える。それは、敗戦を通して学んだ反省や教訓を頭に刻み込み、またバネにして、戦後の活動を再スタートさせたからであろう。

 

①堀越。プロジェクトが巨大化する中、個人の業務が細分化・分業化していき、開発リーダーに求められる資質が変化していったんやろうなあ。 

堀越さんのところにもっていって承認を受けようとすると、『ほぼこれでいいだろうと思うが、いま一度もう少し考えてみようじゃないか』となるのです。それで、再度見直して、今度は大丈夫だろうともっていくと、また『うん、かなりよくなったとは思うけど、でももう一回考えてみよう』となるのです。結局、三回、四回も再検討することはごく普通のことでした」 

 

「技術者の仕事というのは、芸術家の自由奔放な空想とはちがって、いつも厳しい現実的な条件や要請がつきまとう。しかし、その枠の中で水準の高い仕事をなしとげるためには、徹底した合理精神とともに、既成の考え方を打ち破ってゆくだけの自由な発想が必要なこともまた事実である。(中略)私が零戦をはじめとする飛行機の設計を通じて肝に銘じたことも、与えられた条件の中で、当然考えられるギリギリの成果を、どうやって一歩抜くことができるかということをつねに考えねばならないということだ」

 

堀越はハッタリや派手な言動をすることはなく、潔癖ともいえるほどきわめて真面目で、自らの世界に沈潜することの多い内向的な技術者であった。零戦の開発をめぐっては、軍部から過酷な要求性能を突きつけられても、徹底的な軽量化をはかるために、生真面目に一グラムたりともおろそかにせず、要望に懸命に応えようとした。設計主務者でありながらも班長任せにはせず、部下がやった計算も図面も、一枚の洩れもなく細かくチェックしたという。そんな姿勢に、彼の性格が端的にあらわれていた。


②島

島は決して天才肌ではなく、ひたすら努力を重ねる勤勉一筋の人であり、学究の徒であって、どんなに仕事が忙しくても、とにかくいつも勉強をしていた。つねに世界に目を向けていた。このため戦後のある時期、勉強のしすぎで目を悪くしたというほど諸外国の文献や本も含めて読み込んでいた。

えらい!

 

若い真藤は、旧来の考え方や慣習を無視し、一日何時間も造船所の現場に潜り込んで、親分である職長とやりとりして彼らの要望や意見を吸い上げ、よりつくりやすい図面にしていった。たびたび上司たちは、何時間現場に行ったまま帰ってこない真藤に対して、「そんな暇があるなら、技師らしく図面の一枚でも多く描いて早く出図しろ」と命じた。
真藤にしてみれば、「自分のやり方のほうがずっと合理的で、会社のためだ」と思っているだけに、理に合わない命令を無視することもしばしばで、仕事のやり方を勝手に変えていった。いまにいう現場主義を若い頃から実践していたのである。

 

真藤さんから得た人生のあり方を振り返ってみると、「強くなければ生きていけない。しかし優しくなければ生きていく価値がない」という言葉に集約できたように思う」

蓋し名言である。元ネタあるのかな?