日清・日露戦争、対華二十一ヵ条要求、軍縮と恐慌、アジア・太平洋戦争…。日本の歴史は東アジア史の一部であり、世界史の一部である。台湾・朝鮮といった旧植民地、北に君臨するロシア帝国あるいはソ連、そしてかつての超大国・中国。やはり中国の存在が大きい。市場を求めての満州への進出に代表されるように、経済・外交・政治・戦争は不可分であると感じさせられる。日露戦争辺りまではうまく近代日本のシステムが機能しているように見えたのだが…。
何にせよ、客観的で正確なデータや出来事の再構築、当時の為政者や民衆の心情に思いを致すことによって、偏らない歴史観を涵養することが現代人には必要なのではないか。
【詳細】
<目次>
- 序章 令和から見た日本近現代史(山内昌之)
- 第1章 立憲革命としての明治維新(瀧井一博)
- 第2章 日清戦争と東アジア(岡本隆司)
- 第3章 日露戦争と近代国際社会(細谷雄一)
- 第4章 第一次世界大戦と日中対立の原点(奈良岡聰智)
- 第5章 近代日中関係の変容期(川島真)
- 第6章 政党内閣と満洲事変(小林道彦)
- 第7章 戦間期の軍縮会議と危機の外交(小谷賢)
- 第8章 「南進」と対米開戦(森山優)
- 第9章 米国の日本占領政策とその転換(楠綾子)
- 第10章 東京裁判における法と政治(日暮吉延)
- 第11章 日本植民地支配と歴史認識問題(木村幹)
- 第12章 戦後日中関係(井上正也)
- 第13章 ポスト平成に向けた歴史観の問題(中西寛)
<メモ>
この国にとってむしろ肝要なのは、明治維新以来の近代化の歴史を終わった歴史として客観化し、そこから世界の他のさまざまな歴史につなげられ、また何がしかを寄与できる知的資源を編み出すことだと思われる。
重要なのは、この日露戦争を契機として大国間の国際関係の構造が大きく変容して、のちの第一次世界大戦へとつながる新しいいくつもの外交の転換が見られたことである。日本海海戦の敗北でロシア海軍が致命的な損失を負ったことで、イギリス帝国にとってロシア海軍はもはや脅威ではなくなる。そのことは、前述のように一九〇七年の英露協商につながる動きの伏線となる。また、日本の勝利が朝鮮半島および満洲における日本の優越的な地位へと結びついていき、日本の大陸進出が次第にアメリカなどの大国との間の摩擦を生み出すことになる。
何よりも、戦争での敗北がロシア皇帝ニコライ二世の権威を大きく損ない、それとともにロシア国内での帝政の権力基盤が侵食され、ロシア革命への道を開くことになる。いわば、その後の世界大戦につながる勢力均衡の変容や、合従連衡の再編、さらには革命につながる国内秩序の動揺を喚起したことからも、この日露戦争は世界史的な影響を及ぼす戦争であったとみなされている。それが、「第ゼロ次世界大戦」と呼ばれる理由であろう。このようにして、グローバルな視野から日露戦争の歴史を眺めることで、国際社会が二十世紀の新しい時代へと突入していくダイナミズムが理解できるのではないか。
- 日本の歴史において、外交や戦争で影響力の増減があるときは必ず朝鮮半島が絡んでくる。
- 満洲権益への国民の期待(十万の英霊と二十億の国帑)が産官学連携で破滅の道を歩んだ一因。
- 対華二十一ヵ条(山東半島と満洲権益の交換)はやりすぎ。交渉の拙劣さと内政干渉の盛り込みはまずかった。
- お手軽な留学先としての日本があった時代。
- 満洲内陸部の治安維持と関東軍の影響力UPを天秤にかけた結果…。
- 宗主国の植民地財政はだいたい20cにはどこも赤字に転落。
- 中国の賠償放棄は日本の反省を前提としている。
具体的には三つの相互に重なり合う問題を組み込んだ新たな歴史観が
必要であると考えている。第一は、明治を起点とだけ見るのではなく、それ以前の江戸期の経験をどのように組み込むかである。「鎖国」とは江戸時代末期に生まれた認識であり、江戸期に清、朝鮮、琉球、蝦夷と通信や交際があったことは今日の歴史学の常識となっている。この経験と明治以降の近代西洋秩序への参入の過程を包括的に理解する視点が求められている。たとえば、明治維新直後に征韓論が内政外政の両面で重大問題となった背景は、江戸期から明治期への移行過程の文脈で理解されるべきであろう。
第二は、大陸国家との関係である。明治以降の近代化過程は、明治から大正にかけてのイギリスとの協力・同盟関係と第二次世界大戦後の日米協調・同盟関係に大きく依拠してきた。これは海に囲まれた海洋国家としての日本の性格に適合した選択であったことは間違いない。しかしまた、日本は大陸に近接した島国であり、中国、ロシア、朝鮮半島などの大陸国家と没交渉で済ませることはできない。実際、イギリスは海洋国家であると同時にヨーロッパ大陸でも勢力均衡のバランサーとしての役割を確立していた。日本は大陸において果たすべき自らの役割を定義してこなかった。この理由と帰結について日本の近現代史はあらためて問うべきであろう。
第三は、明治以降の近代化の急速さと裏腹の底の浅さに対する認識である。このことは日露戦争後の日本を見つめた当時の知識人が強く意識していたことである。明治末に森鷗外が書いた「普請中」という短い小説は、ドイツから会いに来た昔の恋人に対して、主人公は冷たい態度をとり、「日本はまだ普請中だ」と答えて終わる内容だが、この小説は、日本が西
洋を手本として急速に身に着けた文明の底の浅さを「普請中」という言い方で皮肉った作品と解釈できる。同じ頃、鴎外は「二本足の知」という言い方で、西洋の知と東洋の知の双方を理解する知の体系の必要性を説いている。この課題は未解決のまま教に引き継がれているのではないか。
自らに都合がよいように過去の事例を恣意的に援用するのではなく、さまざまな事例を総合的に判断する視野の広さやバランス感覚が何より求められている。
☝それね。
本書でわれわれは、明治以来の日本の近現代史を学んできた。その歴史は直線的でも、単純でもなく、複合的な力学が働き、多くの可能性があるなかで、日本の政治家が選択してきた道であった。まずは虚心坦懐にそのような過去の軌跡を学び、政治家がどのような選択を行ってきたのかを知ることが肝要だ。そこにも多くの迷いや悩み、困難が感じられるであろう。
はたしてわれわれは、より賢明になったのか。より先見の明を得られるようになったのか。これから新しい歴史を綴る上で、繰り返し歴史に立ち返り、これまで先人が歩んだ道のりを確かめ、その選択と決断の困難を理解することが不可欠であろう。