【概要】
著者(監督):夏目漱石
某明治の近代人が、いわゆる「修善寺の大患」で文字通り生死の境を彷徨ったあと、一命を取り留めてから書いた表題作「思い出す事など」などの随筆を収める。一種の悟りに達した漱石は透明で超然とした境地につかの間至ることができた。「果して時間と空間を超越した」「住みにくいとのみ観じた世界に忽ち暖かな風が吹いた」。やはり文章が上手く、それでいて諧謔がある。
彼、進化論や星雲説といった当時流行のサイエンスにも詳しく、一方で東洋古典やドストエフスキーなどの海外文学にも通暁しているあたりはさすが。歌も詠む。
【詳細】
<目次>
- 思い出す事など
- 長谷川君と余
- 子規の画
- ケーベル先生
- ケーベル先生の告別
- 戦争から来た行違い
- 変な音
- 三山居士
<メモ>
病気も悪くない?
ところが病気をすると大分趣が違って来る。病気の時には自分が一歩現実の世を離れた気になる。他(ひと)も自分を一歩社会から遠ざかったように大目に見てくれる。此方には一人前働かなくても済むという安心が出来、向うにも一人前として取り扱うのが気の毒だという遠慮がある。そうして健康の時にはとても望めない長閑かな春がその間から湧いて出る。
この安らかな心が即ちわが句、わが詩である。従って、出来栄の如何は先ず描いて、出来たものを太平の記念と見る当人にはそれがどの位貴いか分らない。病中に得た句と詩は、退屈を紛らすため、職に強いられた仕事ではない。実生活の圧迫を逃れたわが心が、本来の自由に跳ね返って、むっちりとした余裕を得た時、油然と張ぎり浮かんだ天来の彩紋である。
しんどそうせき。
余は生れてより以来この時ほどに我が骨の硬さを自覚したことがない。その朝眼が覚めた時の第一の記憶は、実にわが全身に満ち渡る骨の痛みの声であった。
宇宙歴史の長きから見れば…
この山とこの水とこの空気と太陽の御蔭によって生息するわれら人間の運命は、われらが生くべき条件の備わる間の一瞬時——永劫に展開すべき宇宙歴史の長きより見たる一瞬時——を貪ぼるに過ぎないのだから、果敢ないといわんよりも、ほんの偶然の命と評した方が当っているかも知れない。
超時空漱石。
余は一度死んだ。そうして死んだ事実を、平生からの想像通りに経験した。果して時間と空間を超越した。しかしその超越した事が何の能力をも意味さなかった。余は余の個性を失った。余の意識を失った。ただ失った事だけが明白なばかりである。どうして幽霊となれよう。どうして自分より大きな意識と冥合出来よう。 臆病にしてかつ迷信強き余は、ただこの不可思議を他人に待つばかりである。
願わくは…
仰向に寝た余は、天井を見詰めながら、世の人は皆自分より親切なものだと思った。住みにくいとのみ観じた世界に忽ち暖かな風が吹いた。
四十を越した男、自然に淘汰せられんとした男、さしたる過去を持たぬ男に、忙しい世が、これほどの手間と時間と親切を掛てくれようとは夢にも待設けなかった余は、病に生き還ると共に、心に生き還った。余は病に謝した。また余のためにこれほどの手間と時間と親切とを惜まざる人々に謝した。そうして願わくは善良な人間になりたいと考えた。そうしてこの幸福な考えをわれに打壊す者を、永久の敵とすべく心に誓った。
感極まっとるなあ。
本当に嬉しかった、本当にありがたかった、本当に尊かったと、生涯に何度思えるか。勘定すればいくばくもない。たとい純潔でなくても、自分に活力を与えた当時のこの感情を、余はそのまま長く余の心臓の真中に保存したいと願っている。そうしてこの感情が遠からず単に一片の記憶と変化してしまいそうなのを切に恐れている。——好意の干乾びた社会に存在する自分を甚だぎこちなく感ずるからである。
旧千円札おじさん、おセンチになる。
退院後一ヵ月余の今日になって、過去を一攫いにして、眼の前に並べて見ると、アイロニーの一語は益鮮やかに頭の中に拈出される。そうして何時の間にかこのアイロニーに一種の実感が伴って、両つのものが互に纏綿して来た。鼬の町井さんも、梅の花も、支那水仙も、雑煮も、————あらゆる尋常の景趣は悉く消えたのに、ただ当時の自分と今の自分との対照だけがはっきりと残るためだろうか。
同意不可避な読書人シリーズ:
- 「名前や標題に欺されて下らない本を読んだ時ほど残念な事はない」
- 「何処までも著者を信用して、とうとう千五百頁の最後の一頁の最後の文字まで読み抜けて、そうして期待したほどのものが何処からも出て来なかった時には、丁度ハレー彗星の尾で地球が包まれべき当日を、何の変化もなく無事に経過したほどあっけない心持がした」
<漱石関連>