評価:A
【粗評】
漱石は講話の名手だった。
そんな旧千円札の名講演5篇を収録。
何かに打ち当るまで行くという事は、学問をする人、教育を受ける人が、生涯の仕事としても、あるいは十年二十年の仕事としても、必要じゃないでしょうか。
ああここにおれの進むべき道があった! ようやく掘り当てた!
こういう感投詞を心の底から叫さけび出される時、あなたがたは始めて心を安んずる事ができるのでしょう。容易に打ち壊されない自信が、その叫び声とともにむくむく首を擡げて来るのではありませんか。
すでにその域に達している方も多数のうちにはあるかも知れませんが、もし途中で霧か靄のために懊悩していられる方があるならば、どんな犠牲を払っても、ああここだという掘当てるところまで行ったらよろしかろうと思うのです。(私の個人主義)
「博士の研究の多くは針の先きで井戸を掘るような仕事をするのです。深いことは深い。掘抜きだから深いことは深いが、いかんせん面積が非常に狭い」
「今の日本の開化は地道にのそりのそりと歩くのではなくって、やッと気合を懸けてはぴょいぴょいと飛んで行くのである(→皮相上滑りの開化)」
などの言い得て妙な例えが面白い。
二元的に物事をとらえ、その中庸に生きんとする漱石の苦悩をともにしよう。
ただ、ちょっと前置きが長い。
曰く、「夏目君の講演はその文章のごとく時とすると門口から玄関に行くまでにうんざりする事があるそうで誠にお気の毒」なのだ。