【概要】
著者(監督):平山秀幸
90年代末の名作。日本と台湾を舞台にファミリーヒストリーと人生の伏線回収が実施される。3世代にわたる宿縁とか、人生の連続性とか、ロードムービー感とか、いろいろな要素が重層的に詰め込まれている。しかし何より印象的なのはオニババのDVの数々であった。アッパーを奪った娘が憎かったみたいだが、憎しみをぶつけるだけに引き取ったとは思いたくない…。原田美枝子が一人二役と聞いて二度びっくり(; ・`д・´)
この頃ありがちなやたらとうるさい演技とか、大仰すぎて日常間のない芝居とか、そういったものがなく、余韻のある抑制された静の芝居にかつての日本映画が持っていたものを感じた。
【詳細】
<メモ>
- 旧植民地時代の台湾とS30年代の日本、そして現代(90's)の日台を舞台に、出生の謎や父の遺骨やファミリーヒストリーの回収が敢行される。
- 台湾の列車に乗り、叔父一家の刺客に連れられて車で各地を放浪。旅情あふれるロードムービー感もある。
- 幼少期の描写では眼をそむけたくなるようなオニババのDV祭りが開催される。殴る蹴る叩くの暴行、アパートに響き渡る女児の悲鳴。タバコの火を手のひらに押し付けるシーンとか、棒で殴って出血するシーンとかはしんどかったなあ。怒られないための愛想笑いもこのとき身に着けた。
- 手鏡を天井に当てて楽しむのはオトンの癖。娘もビンタしてしまうのはオカンの生き写し。
- 中井貴一のアッパー感。光をあてると天井に台湾がみえるぞ。
- 和知パパこと國村隼が傷痍軍人と化しておもらいしている。
- 娘の恵体感。娘と喧嘩したり、2ケツしたり、過去にケリをつける。
- 流転の人生。生き別れとなった弟と獄中で再会。それにしても弟ナイスプレイやったで。
- 某寺で父の骨ゲット。たどり着いた先は海辺の寂れた理髪店。そこにはかつてのオニババがいた。アッパーや娘といたときの生活の残滓はなく、違う人生を歩む老母の姿があった。現夫が帰還して貴一がいた人生が褪色していることを知る。外の雨音と室内の静寂、髪を梳く/梳かれるの逆転の対比に制作サイドの工夫を感じた。額の傷跡でアピールするも他人のふりで2000円を搾り取られる。
- そんな母にはサヨナラ。今は自分も母になり、もうかわいがってもらえることはないと感じていたが、恵体の娘に「かわいいよ、母さん」言ってもらっちゃった。母に言ってほしかった言葉を娘に行ってもらってよかったぢゃん。
- ラストではサトウキビ畑再訪。運転手に依然厳しい娘。骨はオニババではなく故郷に返還したとの理解でOK?
- この頃ありがちなやたらとうるさい演技とか、大仰すぎて日常間のない芝居とか、そういったものがなく、余韻のある抑制された静の芝居にかつての日本映画が持っていたものを感じた。
- 父の農地を「横取り」した叔父一家。彼らが語る植民地時代の収奪とか、戦後の外省人の流入とか。ただのドラマの舞台としてだけではなく、歴史性を感じさせると物語に厚みが出るのだ。台湾、行き台湾。
- まだ生き残っている言葉ではあるが、チョーとかスゲーとかの言葉には90's感を感じた。