【概要】
著者(監督):半藤一利
追悼・歴史探偵。『失敗の本質』でおなじみノモンハン事件。
軽侮と慢心、情報軽視と不勉強、杜撰な計画、独善的で硬直的な戦略・意思決定、戦力の逐次投入、曖昧で優柔不断な指示・命令、信賞必罰の不徹底、統帥の放棄…。アカン事例やダメな組織の典型例のバーゲンセールやないか。頭が痛くなるが、多くの組織も人のこと言えないのでは(; ・`д・´) 数ある要因の中では東京参謀本部のガバナンスのガバガバさが特に痛いところか。
基本的には時系列で進むが、視点が次々に変わるので映像的な面白さがあってよいのではないでしょーか。1939年前後の東京・三宅坂、満洲関東軍、閣僚、ドイツ・ソ連首脳部それぞれの動静が窺える。
著者、大戦犯・辻政信とリアル対話しているあたりがすごい。
【詳細】
<目次>
<メモ>
- 青春小説っぽい題名だが…(; ・`д・´)
- 日中戦争の処理、三国同盟交渉、天津租界問題など、国内外がわちゃわちゃしているところに満州国国境付近で紛争勃発(; ・`д・´) まさかこの局地的な戦闘(と思われていたもの)が独ソ不可侵条約、ポーランド侵攻までつながるとは。世界史の複雑系を思う。
- 陸大上位のいわゆるエリート集団の思惟方法:情緒的、楽観的、独善的、主観的、積極的、抽象的、観念的、硬直的…。
ダメな四文字熟語シリーズ(; ・`д・´)
- 優柔不断:関東軍の「処理要綱」にあやふやな態度をとる参謀本部。国境外の航空侵攻作戦に対す中止命令でなく勧告でそれとなく意図を通じさせようとする不徹底さ。関係者への甘い処断。
- 統帥不全・独断専行:大元帥たる昭和天皇の命令・裁可なき関東軍の軍事行動。
- 情報軽視:自己の戦力過信とソ連軍軽視。戦訓を改善の材料にしない不勉強さ。
⇒どんな組織でも能力のあるものが上に立つべきだよ(; ・`д・´)
(あたりまえ。ところがそれが難しい)
こうして外側のものを、純粋性をみだすからと徹底して排除した。外からの情報、問題提起、アイデアが作戦課にじかにつながることはまずなかった。つまり、組織はつねに進化しそのために学ばねばならない、という近代主義とは無縁のところなのである。作戦課はつねにわが決定を唯一の正道としてわが道を邁進した。
参謀本部はいまさら関東軍の何を恐れていたのか。何を慮っていたのか。磯谷があくまで拒否するなら、ただちに大陸指(参謀総長の指示)に切りかえても実行を迫るべきであった。その気概も示さず、優柔不断そのものであったことが、このあとのノモンハンの戦場に大悲惨をもたらすことになる。三宅坂上の秀才たちの無責任の罪はあまりにも大きかったのである。
参謀本部は真の統帥を放棄して虚位を誇る態度のみつづけていた、と評するほかはないのである。
作戦指導者の杜撰な計画と前後を考えぬ指導、そして優柔不断によって、刻一刻と多くの将兵の命が失われていく。
ノモンハン事件にたいする認識がこのざまとは、ただただあきれるほかはない。その無計画、無智、驕慢、横暴のゆえに関東軍の秀才たちを責めねばならないのは当然のこと、いや、それ以上に三宅坂上の秀才たちの無責任さにノモンハン事件の悲惨の許すべからざる最大原因がある。
- 独ソの接近に「驚天し狼狽し憤慨し怨恨する」閣僚の姿は今に通ずるものがある(; ・`д・´)
- 時折挿入される現場の兵士の日記が沁みる。例)「重火器隊の兵隊さんは、愛馬が立ったままでも安全な壕を、不眠不休で掘ってやるのだった」
- 戦地増棒などのよもやま話も興味深く読ませる。
歴史探偵の怒りシリーズ。辻の手記という名の「講談」「張り扇の一席」には厳しいツッコミ。自己欺瞞・自己正当化は許さん(; ・`д・´)
- 「いい気なものである」
- 「いや、その程度の知能と貧弱きわまる内容の人物が関東軍を率いていたとみるほうが、正しいものの見方かもしれない」
- 「まったく、よくいうよ、と評するほかない」
- 「辻の手記には何事もなかったかのように格好よい文字がならんでいる」
- 「いったい戦場でかれらは何を見てきたのか。どこに目をつけていたのか」
- 「情けない。かれらがそろって陸軍大学校で学んだのは、保身と昇進と功名と勲章の数を誇ることだけだったのであろうか」
- 「あきれてものもいえなくなる」
- 「書き写しているだけで腹立たしくなってくる」
本事件は『失敗の本質』にも出演しておるぞい(; ・`д・´)