Javaさんのお部屋(サム・ジーヴァ帝国図書館)

Javaさんのお部屋です。引っ越しました。詳しくは「はじめに」を読んでね。スマホ版は全体像が見えにくいから、PC版と切り替えながら見てね。

諜報の天才 杉原千畝

諜報の天才 杉原千畝 (新潮選書)

 

【概要】
著者(監督):白石仁章

「命のビザ」でおなじみ杉原千畝の評伝兼研究書。傍流の有能外交官だったが、本国の命令に背いて独断でビザを発行するなど、コスモポリタンな友愛精神にも溢れた気骨ある人間だった模様。研究を進めれば進めるほど、インテリジェンス・オフィサーとしての有能さや高潔な人格が明らかになるという公式チートマンだった。

しかし、真のインテリジェンス活動は、映画のような派手な活劇とはほど遠い。地道に情報網を構築し、その網にかかった情報を精査して、未来を予測していく、そしてさらに一歩踏み込んで、予想される未来において最善な道を模索する、それがインテリジェンス活動だ。

 

史料が語る杉原千畝の姿、それは従来語られてきた偉大なヒューマニストの姿を否定するものではない。むしろ、偉大なヒューマニストの側面に、稀代のインテリジェンス・オフィサーの姿が加ってこそ、より鮮明に杉原千畝という人物を描き出せるのではないかと思う。

www.sugihara-museum.jp

 

↓このサイト、けっこうおもしろいよ。いのビザ関係だと、ほかにも小辻節三や樋口季一郎がいるぞい(; ・`д・´)

www.ifsa.jp

www.ifsa.jp

www.ifsa.jp

 

【詳細】
<目次>

  • 第一章 インテリジェンス・オフィサー誕生す
  • 第二章 満洲国外交部と北満鉄道譲渡交渉
  • 第三章 ソ連入国拒否という謎
  • 第四章 バルト海のほとりへ
  • 第五章 リトアニア諜報網
  • 第六章 「命のヴィザ」の謎に迫る
  • 第七章 凄腕外交官の真骨頂
  • エピローグ インテリジェンス・オフィサーの無念

 

<メモ>

栴檀は双葉より芳し」という格言を地でいくように、後にロシア語を自在に操った才能の萌芽は、既にこの頃から現れていたようだ。晩年の話だが、杉原家では「おおパパ(千畝を指す)が一番苦手な言葉は何だろうか?」、答えは「日本語」という冗談が交わされていたそうだ。

 

このように日々軍部の力が高まる時期に、外務省の内部文書とは言え、陸軍の行動を「恫喝的」との強い表現を用いて批判した杉原という男はかなりの硬骨漢であったと言えよう。彼が後年残したメモには、陸軍軍人のことを「浅慮、無責任、がむしゃらの職業軍人集団」と、手厳しく批判した表現が見られる。彼の時代を見透すリベラルな目は、既にこの時代から存在したのだった。

 

杉原のように活動の痕跡すら残さない者こそ一番恐ろしい存在なのだ。ソ連が杉原を警戒したのも当然である。

誠実かつ人間味ある交流と情報提供者を絶対に売らないのが信頼を得る秘訣じゃぞい(; ・`д・´)

 

満洲事変とそれに続く一九三三年の日本の国際連盟脱退は、日本外交の大きな転換点であった。このことは多くの爪痕を残したが、国際連盟という情報収集の場を失ったことこそ、最も重大な問題であったと思われる。

 

リトアニアポーランド、そしてソ連との間で繰り広げられた領土問題がもたらした「一瞬」とも言うべき短期間(ヴィリニュス返還後、リトアニアは国境を閉ざした)だけ開いた「命の扉」から、多くの人々が逃れることが可能になったのだ。これほど「奇跡」という言葉にふさわしい出来事を筆者は他に知らない。

 

諜報面でも、ポーランド軍のインテリジェンス・オフィサーたちが暗躍した。その重要な拠点となったのは、当初カウナスであった。諜報活動の拠点としての最適地は、敵国になるべく近い中立国ということになる。中立国であれば、この場合情報収集の対象であるドイツやソ連の関係者も活動しているので、彼らの周辺から情報を探ることも可能である。
この時代のカウナスは、世界的な諜報戦の主要舞台であった。

 

杉原千畝という外交官は、二〇世紀の歴史に最大の負の遺産を遺した二人の人物、ヒトラースターリンから多くの避難民を救ったと言うべきであり、「ナチスの手からユダヤ人を救った外交官」という表現は、むしろ過小評価となろう。

それにしてもバルト三国へのソ連の恫喝やべえな(; ・`д・´)

 

電報第二二号を受けてからも、発給し続けた大量のヴィザを有効なものとするためには、それまでと違った口実が必要となった。そこで、「外国人入国令」の拡大解釈をめぐって本省との間に意見交換が続いていたこととし、その証拠の電報を引き出すためにあえて電報第六七号を出したと解釈すべきであろう。
まさに「杉原最大のアリバイ工作」と称するにふさわしい行動だ。本省発の電報第二四号を引き出したことによって、辛うじて八月後半に発給したヴィザの効力を守ることができたに違いない。その証拠に、この時期に発給されたヴィザを携えた人々も日本への上陸を許可されたのであった。

アリバイ工作をしてまで救いたかった命があった(; ・`д・´)

 

インテリジェンス・オフィサーとしての生きがいとは何か。それは、重要情報を入手し、それが正しく理解され、活用されることにあると言って過言ではあるまい。「だれもしなかったことをしたのに……こんなに働いているのに」の後に続く言葉は、「なぜ私が危険を冒して入手した情報が的確に活用されていないのか」という嘆きではなかったのか、そう思えてならない。

 

杉原は古武士のように寡黙で、余計なことは口にしないタイプであり、ヴィザ発給のことや、イスラエルでの顕彰については、一切語ろうとしなかったという。しかし、ユーモアたっぷりの優しい人柄で、部下から信頼され慕われていたそうだ。
得意のロシア語も、ロシア人秘書が下書きした手紙を手直しするほどで、全く衰えていなかったようだ。

人間として立派すぎるだろう(; ・`д・´)