Javaさんのお部屋(サム・ジーヴァ帝国図書館)

Javaさんのお部屋です。引っ越しました。詳しくは「はじめに」を読んでね。スマホ版は全体像が見えにくいから、PC版と切り替えながら見てね。

廻廊にて

廻廊にて (P+D BOOKS)

【概要】
著者(監督):辻邦生

マリア・ワ″シレウスカヤなる人物を日記から復元する(という設定)。マーシャとアンドレ修道院出の蜜月、アンドレを失ってからの灰色の日々。静謐で厳格な修道院に差し込む希望と命の煌めき。やっぱり著者は、虚無の中に煌めく人間の意志を描きたいみたい。カタカナの日記部分は非常に読みにくい。

 

【詳細】
<メモ>

花々がその美しさを誰に捧げるわけでもないのに、完全な形で開くように、人間だって、虚無のなかに、内からの純粋な欲望によって、咲きつづけるべきじゃないかって、考えられはしないかしら……。

 

アンドレ好きすぎ問題。

今日モ、図書室カラ帰ッテクルあんどれト廻廊ノトコロデ、パッタリ出会ッタ。私ハ、今日コソ、思イキッテ、あんどれノ方ヲ、ハッキリ見ヨウト思ッタ。トコロガ、私ガアノ人ヲ一瞥シタ瞬間、不意ニあんどれノ方モ、私ニ、素早イ眼ザシラ、投ゲタノダ。ソレハ一秒ノ何分ノ一カノ短イ一瞬ダッタニ違イナイ。デモ、アノ地中海風ノ可愛イ黒イ眼ハ、落着イテ、微笑シテイルヨウニ、私ノ眼ニ見入ッテイテ、マルデソノ視線ニ、甘美ナ磁力デモアルカノヨウニ、私ノ心ハ震エ出シタ。

 

私ハ両方トモ取リタイ。単純二笑ウあんどれモイイガ、意地悪ク黙ッテシマウあんどれダッテ、ソレハ素晴シク可愛イノダ。私ニハ、タダ一人ノあんどれシカ見エナイ。ナガイ病気ト孤独トニ対シテ戦イ、敏感ナアマリ周囲ト殊更二複雑ナ関係ヲ持ッテシマッタ真剣ニ苦シミ悩ンデイル一人ノ娘ガ、見エテイルノダ。 

 

パノラマ。

廻廊にかこまれた中庭の花壇の、立葵ゼラニウムの下から立ちのぼる土の匂いや、明るく輝く太陽や、急に激変して冬のような寒さになる山地特有の気候や、それにもかかわらず、夏に向って葉をきらめかす城館の周囲の林や、牧場の木立まで響いてゆく食堂のオルガンの音などが、苦い日々の記録のなかに、不思議と澄んだ甘やかさをたたえて、印象的に書かれているのも、マーシャのこうした幸福感と無関係ではなかったであろう。

 

訓練された意志力と、神経の完全な統御と、緊張して自由に動く筋肉、それに何よりも、そこに生命をかけていることから生れる真剣さが、必要なのね。死に接しているからこそ、生のすべての姿が、一瞬、火花のように現われてくるのね……そうよ、昔、まだ高貴さが生きられた時代には、生は、死を本当に考えることができ、死によって、きびしく、端麗に、いまどりされていたのだわ。でも今は、もう、誰もが、死について本当に考えることもなくなったし、死は、どこか曖昧にさまよっている漠とした未来でしかなくなったのよ。

 

でも私が死んだら、私のかわりに誰かが、その誰かが死んだら、また誰かが、その見えない壁にむかって、叩きつづけるべきなのよ。そうよ、この人間を否もうとする意志に対して、ただこうすることによってだけ、人間であろうとする意志が生きつづけるのよ。ただ、この意志だけが、一人一人の〈死〉をこえて、生きつづけるのだと思わなくて?

 

しかしアンドレ自身、むろんこの危険とこそ、戦いぬこうとし、その〈死〉に直面する緊迫のなかに(生〉の高貴さを味わいつくそうとしていた以上、この黄色い複葉機が、いま最後のプロペラを廻転しはじめ、それが一度地上を離れれば、もはやふたたびそこに帰ることがないと知っても、おそらくその宿命を最後の瞬間まで耐えぬいたにちがいない。

 

私ハ、壁ノ本棚カラ、一枚ノ厚紙ヲ取ルト、自分ノ涙デソウナルノカ、水面ニ揺レ動ク顔ノヨウニ定カナ輪廓ノナイママニ、あんどれノ顔ヲ、素描シテイッタ。ソレハ、ハジメテ、アノ秋ノ朝、寄宿学校ノ食堂ニ差シコム光ノ縞ノ中ヲ歩イテキタトキ以来、忘レルコトノデキナイ一ツノ顔――浅黒イ、形ノイイ輪廓ト、細イ頸ト、黒イ、可愛イ、地中海風ノ眼ヲ持ッタ懐シイ表情ナノダッタ。

 

 

修道院当たりの描写には勝手に風花雪月感を感じていた。 

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