Javaさんのお部屋(サム・ジーヴァ帝国図書館)

Javaさんのお部屋です。引っ越しました。詳しくは「はじめに」を読んでね。スマホ版は全体像が見えにくいから、PC版と切り替えながら見てね。

ドイツ戦歿学生の手紙

ドイツ戦歿学生の手紙 (岩波新書 赤版 22)

【概要】
著者(監督):ウィットコップ編 高橋健二
「映像の20世紀」でおなじみWW1で戦没した青年の手紙を収める。ドイツ版『わだつみ』。1933年に出版された原著で「我々は彼らの前に頭をたれて、彼らの形見に對し、彼らの戰死を空しくせしめぬことを」とあるが、わずか6年でまた若者が死地に送られてしまうのはしのびない。
英雄的陶酔が絶望と無氣力に變わるのにさう時間はかからなかつた。戰地にあつて死生観を揺さぶられ苦悶する中、慰みや永遠なるものを希求した彼らの想ひを汲み取りたいと思ふのである。

 

【詳細】
<メモ>

編者は決して他から依頼されて、この仕事に取りかつたのではなく、自發的に戰死學生の兩親の宛名を調べて、彼らの子弟の手紙を貸與するやうに乞うたのであることは特記されねばならない。清い知性と若々しい感激とを具へた學生たちの陣中書翰は、特にそれが後に公表されることを豫想せずに書かれただけ、內的に外的にも、戰爭の最も忠實な記錄となるであらうことを思うて、編者は非常な熱意をもつてこの仕事にあたつたのである。

 

國民的自覺の秋にあたつて、我々は彼らの前に頭をたれて、彼らの形見に對し、彼らの戦死を空しくせしめぬことを、彼らの遺言を實現せんことを、自己と國民全體に對する不斷の精進によつて彼らに恥ぢぬものとならんことを、誓ふのである。

 

フライブルク 一九三三年秋
ドクトル・フィリップ・ヴィットコップ

この痛切なる願いも空しく、6年後にまた戦争起こるんだな、これが( ;∀;)

 

ヴァルター・リンマー

一九一四年八月三日 ライプチヒにて(遺憾ながらまだ!)

萬歲! たうとう、明日午前十一時當市の某所に集まれという命令を受取りました。今か今かと待つてゐたところです。今朝知り合ひの若い婦人に會ひました。平服姿を見られるのが、恥づかしい位でした――お父様、お母様もうなづいて下さるでせうが、僕はもう平和なライブチヒの人間ではありません。愛するお母様、僕が昨日〔家でお暇して〕から、氣分の變はつて來るうちに悟ったことを、どうぞ忘れずにゐて下さい。

 

僕たちは勝ちます! 勝利に對するかうした力强い意志があれば、勝利以外のことはあり得ません。みな様、かうした時代にかうした國民の中に生き、この誇るべき戰爭に皆様の愛するものたちを大勢送り得ることを誇りとして下さい。

「これは、あるドイツ青年の手紙です」てな感じで映像の世紀に引用されそうな典型的な内容。まさか4年もこの戦争が続くとはなあ。

 

マルティン・ドレッシャー

かうして一日一日が過ぎて行きます。惨澹たる行軍、何日もぼんやり過ごす無爲な生活、暑さと寒さ、食べすぎと、また長い空腹。話といへば、専らかうした物質的なことと、明日もまだ生きてみられるや否やといぬ大問題とをめぐつてゐます。私は極力さういふことを清算しました。初めはもちろん激しい戰慄に襲はれました。生への意志は何といつても餘りに大きいものです。しかし、不死の思想は崇高な代償です。私は著名な個人の不滅觀を信じはしませんが、昨夜見たきらめく星や、そのほか昔の、特にゲーテの囘想や觀察は、個々の魂を抱き取る普遍的な魂の古い學說を再び私の心によみがへらしました。それで今はもう榴弾が頭の上を唸つて行くのを悠然と聞いてみます。私、即ち私の魂はたゞ一度生きるだけでなく、更に更に生き續けるだらうといふことを、私は確信してみます。どんな風に生き統けるかは、思ひ浮べて見ません。それは無益なことですから。かうして、私は落着き、いはば不死身になつてゐます。

時系列で配置されているので、当初の英雄的気分が徐々に破砕され、総力戦の恐ろしさがわかってくるのが窺える。

 

ルドルフ・フィッシャー

死の嚴粛さに對してみんなは單純素朴になつてゐます。畏敬や畏怖の念を起こさせるけれど愛される人間がよくありますが、死もさうした人によく似てみます。別人にならずして戰争から歸る人はありません。
では、戰場にある我々と同様、フライブルクの皆さんが楽しくあられるやうに。


ヴェルナー・リーベル

たゞ一つ僅かに慰めとすることがあります。弟が最早ゐないといふことを知ってから、私の心の中に不思議な愛化が起こりました。私は急に永遠の生命と来世での再會を信ずるやうになりました。この観念は今までは私にとつて空虚な言葉に過ぎませんでした。それが一昨日からは固い信仰の對象となりました。

生命がどんなに美しいものかといふことは、生命が危險にさらされてみる戦場に出て始めて分かります。

 

ハンス・マルテンス

生きたい氣持、生きようとする氣力は日ましに大きくなる。大いなる人生を無造作に放棄してしまふのには、自分はまだ人生を知らな過ぎる。死を輕んずる心、英雄的精神などは、自分の場合は恥づかしながら 極度に緊張し麻痺した感覺の陶酔の時、交戰の最高の興奮の時にのみ起こり得るのだ。

 

ゴットホルト・フォン・ローデン

向かふでもクリスマスの歌や我々の祖國の歌を合唱しました。誰かが獨唱をやると、向かい側のものが拍手喝采しました。皆さんも同時に歌つてゐたに違ひない我々のクリスマスの歌をフランス兵はしんとして聽いてみました。我々の前にある敵も氣分が變はつて、斥候を出して前面の地帶を偵察しようなんてことは考へませんでした。

クリスマスぐらいは停戦しましょうか(*'ω'*)

 

ヴィルヘルム・ヴァイデマン

我々の心の中に、そして彼に對し忠實であつた少數の人々の心の中に生きてゐる彼の思ひ出は、我々の心が生きてゐる限り、生きてゐます。

 

その中からは永遠なるのが語ってみます──その中から、また森のざはめき、星の輝き、遠い高い雲の去來、遙かに雲のきらめく時淋しい堤防で歌ふ雲雀の歌、咲く花、波打つ穀物、友達の眼、それらのものの中から、永遠なるものが語つてます。永遠や不滅に關するどんな立派な言葉や思想よりも、はてしなく遙かに純粋で清浄で神聖な永遠なるものが、非常に純粋に静かに語ってゐるので、海の青い色や、風のそよぎそのものの中にも、自然のこの永遠な純粋さと清淨さとを感するために、人々は静かに立止まります――非常に静かに、深い重い考へもなく、子供のやうに、すべてこの偉大なものの見事さを目をみはつて見、驚いて口をつぐみながら──

詩人!

 

今レンマー君が死にました。今は何が來ても平氣です。──死は既に幾度も私の身邊、髪の毛一筋のところを通り過ぎました。私は幾度も睫毛一つ動かさず死を敵に送りました。毎日大砲の轟きと弾丸の唸りの中を進んで行くと──私は毅然として真直ぐに進みます──今や戰爭は私から奪ひ得るものを奪ひ取りました――まだ残ってあるもの、そのために私が戦つてゐる一切のものは、何ものも私から奪ることは出來ません。

 

クロト・ロールバッハ

たえずあらゆる注意を要求し、一切の力を極度に緊張させる戰場生活の間に、僕は平和時代の希望にみちたのんびりした發展期に獲得した寶の多くを失ってしまった。學校や大學で得た知識や、個人的な勉強によつて喚起された種々の興味は、眼からも心からも遠のいてしまった。それを再び獲得することは困難だらう。君ら知つての通り、餘りに早く目ざまされた人生の重大事のために僕は短い青春時代しか持たなかつた。ほんとうに愛することさへ出來なかつた。

時代に翻弄されるエルフの剣士。

 

この恐ろしい戰争はもう僕を老けさせた。僕の身體は成るほど戰場に出てはじめて風雨に耐へ得るやうになり、僕の筋肉は鍛へられたが、精神は一層强くなつてはゐない。毎日死の灼きつくやうなうつろな眼を見、悩み諦めた死者の顔をこんなに度々見るものは、如何にも気丈にはなるが、老けてしまふ、非常に老けてしまふ。それは僕を悲しませる。愛する昔馴染の戰友よ。

 

ヴィリ・ナウマン

工場勞働者や作男などがゐたのですが、いくら讀んで聞かせてもゲーテに飽きないのです。僕にとつて最も意外だつたのは、青春時代のゲーテの戀愛詩などではなくて、「月に寄す」(再び繁みと谷とを滿たし)のやうな、繊細な静かな澄みきった歌が一番強い印象を與へたことです。一時に僕はやめました。でなかったら、彼らはもつと長く傾廳してゐたでせう。掩蔽部の中は一つの氣分に溶けてみました――ゲーテに對するこんな感激を僕はまだ全く味はつたことがありません。

日本学徒で言うところの『万葉集』や『源氏物語』『善の研究』的なあれですか。

 

ゴットフリート・シュミット

しかし、こんなに比類なく勇ましく戰つた國民が滅びなければならないといふことは信じられません。

私も信じられません。実際にドイツ帝国無事滅びるんだなあ。これが一番最後にあるのがかなしい。

 

javalousty.hatenablog.com