Javaさんのお部屋(サム・ジーヴァ帝国図書館)

Javaさんのお部屋です。引っ越しました。詳しくは「はじめに」を読んでね。スマホ版は全体像が見えにくいから、PC版と切り替えながら見てね。

愛するということ

愛するということ 新訳版

【概要】
著者(監督):エーリッヒ・フロム 訳:鈴木晶

愛するにも技術が必要なの。愛と恋は違うのよ。

寄りかかりすぎず、寄りかかられすぎず。一人でも楽しいけど、二人だともっと楽しい。

そんな妄想をたくましくさせてくれた。


【詳細】
<メモ>

めっちゃストイック。

愛するという技術についての安易な教えを期待してこの本を読む人は、きっと失望するにちがいない。そうした期待とはうらはらに、この本が言わんとするのは、愛というものは、その人の成熟の度合いに関わりなく誰もが簡単に浸れるような感情ではない、ということである。
この本は読者にこう訴える――自分の人格全体を発達させ、それが生産的な方向に向くよう、全力をあげて努力しないかぎり、人を愛そうとしてもかならず失敗する。満足のゆくような愛を得るには、隣人を愛することができなければならないし、真の謙虚さ、勇気、信念、規律をそなえていなければならない。これらの特質がまれにしか見られない社会では、愛する能力を身につけることは容易ではない。実際、真に人を愛することのできる人を、あなたは何人知っているだろうか。

 

成熟した愛は、自分の全体性と個性を保ったままでの結合である。愛は、人間のなかにある能動的な力である。人をほかの人びとから隔てている壁をぶち破る力であり、人と人とを結びつける力である。愛によって、人は孤独感・孤立感を克服するが、依然として自分自身のままであり、自分の全体性を失わない。愛においては、二人が一人になり、しかも二人でありつづけるという、パラドックスが起きる。

 

自分の喜び、興味、理解、知識、ユーモア、悲しみなど、自分のなかに息づいているもののあらゆる表現を与えるのだ。このように自分の生命を与えることによって、人は他人を豊かにし、自分自身の生命感を高めることによって、他人の生命感を高める。

 

誰かを愛するとき、私はその人と一体感を味わうが、あくまでありのままのその人と一体化するのであって、その人を、私の自由になるような一個の対象にするわけではない。いうまでもなく、自分が独立していなければ、人を尊重することはできない。つまり、松葉杖の助けを借りずに自分の足で歩け、誰か他人を支配したり利用したりせずにすむようでなければ、人を尊重することはできない。自由であってはじめて人を尊重できる。

 

自分自身を「信じている」者だけが、他人にたいして誠実になれる。なぜなら、自分に信念をもっている者だけが、「自分は将来も現在と同じだろう、したがって自分が予想しているとおりに感じ、行動するだろう」という確信をもてるからだ。

 

愛するということは、なんの保証もないのに行動を起こすことであり、こちらが愛せばきっと相手の心にも愛が生まれるだろうという希望に、全面的に自分をゆだねることである。愛とは信念の行為であり、わずかな信念しかもっていない人は、わずかしか愛することができない。

 

人を愛するためには、精神を集中し、意識を覚醒させ、生命力を高めなければならない。そして、そのためには、生活の他の多くの面でも生産的かつ能動的でなければならない。愛以外の面で生産的でなかったら、愛においても生産的にはなれない。

 

宗教的・哲学的な話もあるよ。

人類の歴史においても同じ発達過程が見られるし、今後も同じだろう。すなわち神への愛は、はじめは母なる女神への無力な者の依存であり、次に父性的な神への服従となり、成熟した段階になると、人間は神を、人間の外側にある力とみなすことはやめ、愛と正義の原理を自分自身のなかに取りこみ、神と一つになる。そして最終的には、詩的に、あるいは象徴的にしか、神について語らないようになる。