【概要】
著者(監督):原民喜
「人生のこと何がはたして夢以上に切実であるか。春の美しい一日はたしかにある」といった感じの、幻想的でどこか淋しい詩を収める。『原爆小景』『永遠のみどり』『悲歌』あたりは有名どころか。妻の俤と美しい記憶と透明な幻想がインクに込められているのを感じた。
【詳細】
『閨』
もうこの部屋にないはずのおまへの柩がふと仄暗い片隅にあるし、妖しい胸のときめきで目が覚めかけたが、あれは鼠のしわざ、たしか鼠のあばれた音だとうとうと思ふと、いつの間にやらおまへの柩もなくなつてゐて、ひんやりと閨の闇にかへつた。
『鬼灯図』
なぜか私は鬼灯の姿にひきつけられて暮してゐた。どこか幼いときの記憶にありさうな、夢の隙間がその狭い庭にありさうで……。(中略)
……いく年かわたしはその庭の鬼灯の姿に魅せられて暮してゐたのだが、さて、その庭のまはりを今も静かにただよつてゐるのは、妻の幻。
『病室』
おまへの声はもう細つてゐたのに、咳ばかりは思ひきり大きかつた。どこにそんな力が潜んでゐるのか、咳は真夜中を選んでは現れた。
『落日』
いつまでも、あの日輪のすがたは残つた、紙の上に、心の上に、そして、お前が死んでからは、はつきりと夢の中に。
『記憶』
もう彼の妻はこの世にゐなかつたとしても、男の魂のなかに栖むのは妻の面影ばかりだらう。彼はまだ頑に呆然と待ち望んでゐる、満目蕭条たる己の晩年に、美しい記憶以上の記憶が甦つてくる奇蹟を。
妻ばっかりやないか。
<原爆小景シリーズ>
『コレガ人間ナノデス』『燃エガラ』『ギラギラノ破片ヤ』『水ヲ下サイ』は言うまでもない。
『永遠のみどり』
ヒロシマのデルタに
若葉うづまけ
死と焔の記憶に
よき祈よ こもれ
とはのみどりを
とはのみどりを
ヒロシマのデルタに
青葉したたれ
<透明感シリーズ>
『かけかへのないもの』
かけかへのないもの、そのさけび、木の枝にある空、空のあなたに消えたいのち。
はてしないもの、そのなげき、木の枝にかへつてくるいのち、かすかにうづく星。
『部屋』
小さな部屋から外へ出て行くと坂を下りたところに白い空が広がつてゐる。あの空のむかふから私の肩をささへてゐるものがある。ぐつたり私を疲れさせたり、不意に心をときめかすものが。
『悲歌』
濠端の柳にはや緑さしぐみ
青靄につつまれて頬笑む空の下
水ははつきりと たたずまひ
私のなかに悲歌をもとめる
すべての別離がさりげなく とりかはされ
すべての悲痛がさりげなく ぬぐはれ
祝福がまた ほのぼのと向に見えてゐるやうに
私は歩み去らう 今こそ消え去つて行きたいのだ
透明のなかに 永遠のかなたに
『小春日』
樹はみどりだつた
坂の上は橙色だ
ほかに何があつたか
もう思い出さぬ
ただ いい気持で歩いてゐた
<ネガティヴ集>
「すべてがわびしい闇のなかに――物語の終わりは近づいてゐた」
「わたしの身は闇のなかに置きわすれられて」
「おまへもわたしもうつうつと仄暗い家のなかにとぢこめられたまま」
「憂悶の涯に辿りつく睡りはまるで祈りのやうであつた」
<宣言>
「人生のこと何がはたして夢以上に切実であるか。春の美しい一日はたしかにある」