【概要】
著者(監督):西條八十
昭和を駆けたヤソップ。抒情的な作風。「かなりや」や歌謡曲はけっこう有名なのでは。
【詳細】
<メモ>
かなりや
──唄を忘れた金糸雀は、後の山に棄てましよか。
──いえ、いえ、それはなりませぬ。──唄を忘れた金糸雀は、背戸の小藪に埋けましょか。
──いえ、いえ、それもなりませぬ。──唄を忘れた金糸雀は、柳の鞭でぶちましよか。
──いえ、いえ、それはかはいさう。
詩作
けふも、原稿用紙の梯を
のぼりつつ、踏みはづしつつ。──
我顔
いつの日からか
わたしは手鏡で
やうやく老いた我顔を
眺めるのを愛するやうになった。
眼隅にきざまれた無数の小皺の懐しさ、──
そこに少年の日、わたしが紫雲英を踏んで彷徨った
柏木の畔みちがある、
寧楽の若宮から春日山へとぬける
初夏の馬酔木の小径がある、
かの女と夕ぐれ、別れを惜んで 倘徉した
ナポリの海ぞひの白い鋪道がある。
また頬のあたりに黝んだ幾つかの汚斑、
わたしはそこに放牛と青い虎杖の伊豆大島を偲ぶ、
また賀茂丸の舷から見た煙噴く以太利の半島を、
小雨にぬれてシャトオブリヤンの墓を訪ねた
サン・マルコの島かげを。──
我顔は今日までわが歩んだ世界である、
くるしく、楽しき心の翳である、
わが過去の無言の自叙伝である、
わたしは、今日、秋の日の曇り陽の縁で
しみじみと
我顔に眺め入ることをたのしむ。
蝶
やがて地獄へ下るとき、
そこに待つ父母や
友人に私は何を持って行かう。
たぶん私は懐から
蒼白め、破れた
蝶の死骸をとり出すだらう。
さうして渡しながら言ふだらう。
一生を
子供のやうに、さみしく
これを追ってゐました、と。
心に
つねに、つねに
ひとつの恋を追へよ。
燕は
去年の古巣に戻り来れるにあらずや。
青き蘆は
汚れたる川辺に二度芽をふけるにあらずや。
つねに、つねに
ひとつの恋を追へよ。
断章
灰色のすずめよ、
今日も飛び来り、別れゆく椅子のうへに
その小さき足跡を印せよ。
親しきものの別離は哀し、
されど流転は、恒に、恒に、たのし。
余燼
冬の夜の室内、
くづれた媛炉の灰を眺め、
女の掌に触れてゐる自分、
ここに在る人生の余燼。
鐘
鐘を想ふ、
古き鐘楼の鐘を想ふ、
語らず、なげかず、
優しきひと来りて打つとき、
あはれ、静かにすすり泣くその鐘。
父と娘
長女にリイダアを教へてゐる、
ふとその黒髪ごしに、窓の空を見る、
きれいな雲が流れてゐる
縞鯛の背のやうに光った、いちめんの夕雲、
鶸や、紫や、淡紅や、藤色や、
毛糸のやうに絡みあひ、もつれ合って、
ゆるく、ゆるく、風に流れてゆく。
私は想像する、
どこかの遠い地方の片隅で、
貧しいひとりの少女が死んだ、
両親も無い、みよりもない、
花を捧げてくれる人も無い、
ただ大空の雲たちが
美しい夕ぐれの唄をうたひながら
遥かにその葬送に従ってゆく。──
気がつくと、
長女は怪訝さうに私の顔を見つめてゐる、
黄昏の室内、
十年、二十年、なは私の心に匂ふ見果てぬ夢!
卒爾として、私は厳格な父親に還る。
石卵
小さい謎の卵を
わたしはこの草むらに隠す、
わたしは雪白の翼をひろげて
二度と戻らぬ蒼穹へ往かう。
別後
別れたる女の記憶は
うすき玻璃の破片、
握りゐる学食に痛く沁みつ、
なほ幽かにかがやく。