Javaさんのお部屋(サム・ジーヴァ帝国図書館)

Javaさんのお部屋です。引っ越しました。詳しくは「はじめに」を読んでね。スマホ版は全体像が見えにくいから、PC版と切り替えながら見てね。

天、共に在り アフガニスタン三十年の闘い

天、共に在り アフガニスタン三十年の闘い

【概要】
著者(監督):中村哲

ETV特集「武器ではなく、命の水を」でおなじみ。中村医師の突破力がすごい。土木技術を磨いた。緑がよみがえった。モスクも建てた。

NHK

www.nhk.or.jp

 

そんなナカムラおじさん唯一の自伝。

アフガニスタンで医者から土建屋に鞍替えしたのはあまりにも有名。「百の診療所より一本の用水路」と唱道、灌漑につぐ灌漑を繰り返し、感慨深い生を全うした。

基本的にはETV特集と同様の内容。文章に独特の味わいがあり、自分の言葉で書いている感じがある。クリスチャンらしい使命感も、現代の人格陶冶の参考になるのでは。

 

【詳細】
<目次>

  • 第1部 出会いの記憶1946~1985(天、共に在り;ペシャワールへの道)
  • 第2部 命の水を求めて1986~2001(内戦下の診療所開設;大旱魃空爆のはざまで)
  • 第3部 緑の大地をつくる2002~2008(農村の復活を目指して;真珠の水―用水路の建設;基地病院撤収と邦人引き揚げ;ガンベリ沙漠を目指せ)
  • 第4部 沙漠に訪れた奇跡2009~(大地の恵み―用水路の開通;天、一切を流す―大洪水の教訓)


<メモ>

―私も興奮する群集の一人であった。思えば、医師たる自分が、本業を放り投げて、この水路現場の総指揮をとっていることが不思議である。天命とはいえ、数奇な定めである。こんな世界の片隅で、全く畑違いの仕事に精を出しているのが突然おかしくなってきた。
通水を確認した途端、緊張が緩んだのか、苦笑と喜びがこみ上げてきて、哄笑を抑えることができなかった。一九八四年に医師として現地赴任してから二十五年、初めてヒンズークッシュ山脈を訪れてから三十一年、あの時こんな場面に居ようとは夢にも思わなかったからである。

 

「百の診療所より一本の用水路」と唱え、この約七年間、現場に張りついて指揮を取ってきた私は、このために全てを犠牲にした。現地三十年に迫る経験、いや、物心ついてから得た全ての知識と経験を傾注したといっても、決して過言ではない。その結実を今目前にしようとしていたのである。

 

祖母の説教が、後々まで自分の倫理観として根を張っている。弱者は率先してかばうべきこと、職業に貴賤がないこと、どんな小さな生き物の命も尊ぶべきことなどは、みな祖母の教説を繰り返しているだけのことだと思うことがある。

 

病人に必要なのは、ともかく病を癒し、少しでも「人間」としての誇りを取り戻させることである。第一段階は、ともかく餓死の危険がなく、出来る限りの治療が保証されている事実を分からせることである。人間が極限に近い苦労の痛手から立ち直るのは時間がかかる。べたべたと優しくするよりも、泣き叫びを放置して思い切り心の膿を出させる方がよい。事実と結果が最も雄弁である

 

用水路関係のワーカーに指定した必読文献は、「後世への最大遺物」(内村鑑三)と「日本の米」(富山和子)で、要するに挑戦の気概だけがあった。自分からして、流量計算や流路設計の書物さえ理解できず、高校生の娘から教科書を借りて、苦手な数学を再学習するありさまであった。

 

javalousty.hatenablog.com

 

現地はもちろん、帰国して暇さえあれば水利施設を見て歩いた。近辺の小川や堤から始め、「昔から残っているもの」に照準を当て、福岡県の筑後川矢部川熊本県菊池川、緑川、球磨川沿いなどを散策した。いったい昔の人々はどうやって自然の河川から水を取り込み、どうやって水路を作り、多くの開墾地を拓いたのか、身近なところから見て回った。

 

その後の多くの困難と工夫は割愛しよう。まるで精神と気力だけが生きていた七年間であった。数百年ぶりの大洪水、集中豪雨などの天災だけでなく、米軍による誤射事件、地方軍閥の妨害、反米暴動、技師たちの脱走、裏切り、盗難、職員の汚職と不正、内部対立、対岸住民との角逐、用地接収をめぐる地主との対立、人災を挙げれば枚挙に暇がない。個人的にもこの間、多くの肉親と友人を失い、家族を置き去りにし、あちこちに不義理をして、気がめげることがないでもなかった。絶望的と思えた状況で水路と心中する心境になったこともある。正直、戦場で白兵戦を演ずる兵士の方が楽であったろう。事業完遂のためなら、誇りも捨てた。綱渡りのようなこともやりながら、難局を切り抜けた。巨額をはたいて多くの人々の希望をかきたてて動かし、無数の飢餓難民が水を渇望していることを思うと、泣き言は言っておれなかったのである。

 

PMS( ペシャワール会医療サービス)の事業は、一農民から大臣に至るまで、政府・反政府という政治的枠を超え、幅広い人脈に支えられてきたと言ってよい。国境も人種も身分も超えた協力が、事業に結晶していたと言っても過言ではない。これを「八方美人のマキャベリズム」と見るかどうかは自由である。

私は、ここに人間共通の、尊い何ものかを見る。平等や権利を主張することは悪いことではない。しかし、それ以前に存在する「人としての倫理」の普遍性を信ずる。そこには善悪を超える神聖な何かがある。

 

平和とは観念でなく、実態である。

 

洪水時

「俺に貸せ、水路は後で治せる。人命が先だ!」

自ら掘削機に乗り込み余水吐きを必死の思いで切り崩し始めた。

 

だが、このことは大きな教訓であった。いかに強く作るかよりも、いかに自然と折り合うかが最大の関心となった。自然は予測できない。自然の理を知るとは、人間の技術の過信を去ることから始まる。主役は人ではなく大自然である。人はそのおこぼれに与かって慎ましい生を得ているに過ぎない。知っていたつもりだったが、この事態を前に、初めて骨身に染みて実感したのである。山田堰を造った古賀百工は、農民の窮状に戻しただけではない。この自然の猛場で知り尽くし、人為と自然、その危うい接点で知恵を尽くし、祈りを尽くしたのだ。その祈りを抜きに技術を語るのは、画竜点睛を欠くものだった。

 

「信頼」は一朝にして築かれるものではない。利害を超え、忍耐を重ね、裏切られても裏切り返さない誠実さこそが、人々の心に触れる。それは、武力以上に強固な安全を提供してくれ、人々を動かすことができる。私たちにとって、平和とは理念ではなく現実の力なのだ。
私たちは、いとも安易に戦争と平和を語りすぎる。武力行使によって守られるものとは何か、そして本当に守るべきものとは何か、静かに思いをいたすべきかと思われる。