Javaさんのお部屋(サム・ジーヴァ帝国図書館)

Javaさんのお部屋です。引っ越しました。詳しくは「はじめに」を読んでね。スマホ版は全体像が見えにくいから、PC版と切り替えながら見てね。

慈悲

著者:中村元
評価:B

【評】
めっちゃお堅い。
でも、ひたむき。

『輪廻の苦患を知りつくしたおんみをそこに長い間とどまらしめた大悲と、おんみとでは、いずれを先にわれは拝すべきであろうか。』
現代の問題は実は古代の問題であった。最も新らしくてしかも古くから存するこの問題をわれわれは追求したい。

慈悲は人と人との関係から人に対する仏のはたらきに移され、人間はただこの慈悲に対して受動的であると解せられるようになる。そうして人と人との間にあらわれる慈悲は、最初の宗教的意義がかくされ、単なる同情或いは憐れみというような世俗的なものと解せられ、、したがってそれは人々に対する仏の慈悲の模写或いは世俗的形態と解されるようになる。(略)
しかしそのような分離にも拘らず、慈悲心は人間でも起すものである。だから教義学者の間では仏の大悲と人間の慈悲は区別されていたが、人間の心情を表出する仏教詩においては両者は区別されなかった。法華経でも『如来の室とは、一切衆生の中の大慈悲心これなり。』という。大慈悲心は迷える人間のうちにも存するのである。

漸く要約。

慈悲の実践はひとが自他不二の方向に動くことのうちに存する。 それは個々の場合に自己をすてて他人を生かすことであるといってもよいであろう。もしも単に自己を否定するというだけであるならば、それは虚無主義とならざるを得ない。これは現代における有力な思想傾向となっているが、自他不二の倫理はそれの超克をめざすものである、と言ってよいであろう。それは個別的な場合に即して実現さるべきものであるが、しかも時間的・空間的限定を超えた永遠の意義をもって来る。

かかる実践は、けだし容易ならぬものであり、凡夫の望み得べくもないことであるかもしれない。しかしいかにたどたどしくとも、光りを求めて微々たる歩みを進めることは、人生に真のよろこびをもたらすものとなるであろう。

ひたむきだなあ。