Javaさんのお部屋(サム・ジーヴァ帝国図書館)

Javaさんのお部屋です。引っ越しました。詳しくは「はじめに」を読んでね。スマホ版は全体像が見えにくいから、PC版と切り替えながら見てね。

昭和天皇・マッカーサー会見

昭和天皇・マッカーサー会見 (岩波現代文庫 学術 193)

【概要】
著者(監督):豊下楢彦

外交官や政府関係者の限られた資料や手記をもとに、例の会談で何が行われていたのか復元しようとする。

マッカーサー回想記』には、

「私は、国民が戦争遂行にあたって政治、軍事両面で行ったすべての決定と行動に対する全責任を負う者として、私自身をあなたの代表する諸国の採決に委ねるためおたずねした」。私は大きい感動にゆさぶられた。

とあり、昭和天皇の人格がマッカーサーを感動させたハートウォーミングストーリーが語られがちであるが、

さて、前節から検討してきた内容を整理してみるならば、マッカーサー東京裁判の開延に前後して、全く相反する「天皇発言」 を文字通り「裁判対策」として実に巧みに駆使した、ということであろう。 要するに、 極東諮問委員会の代表団 『ライフ』誌、NHKなど"表舞台" においては、自分は戦争に反対であったが軍閥や国民の意思に抗することはできなかったとの「天皇発言」が活用され、だからこそ天皇に戦争責任はなく免訴されるのが至当である、とのアピールが展開された。他方"裏舞台"においては、戦争が自らの命令によって行われた以上は全責任を負うとの「天皇発言」がキーナンや田中隆吉に内々に伝えられることによって、天皇を絶対に出廷させてはならないという両者の決意と覚悟が固められ、"法廷闘争"において見事な成果がもたらされたのである。当時マッカーサーの周辺から流出した「天皇発言」は、このようにすぐれて政治的性格をおびていたのである。

ということで、日米両者の合作との立場。

この会見の歴史的な意義は、天皇によるマッカーサーの「占領権力」への全面協力とマッカーサーによる天皇の「権威」の利用という、両者の波長が見事に一致し、相互確認が交わされたところに求められるべきであろう。言いかえるならば、この会見こそ、後に顕在化する「権力」と「権威」との「二重 (分担) 支配」(坂本孝治郎『象徴天皇制へのパフォーマンス』への出発点を画するものに他ならなかったのである。

 

歴史研究とは歴史や物語からロマンを剥ぎ取っていくことなのかもしれない。

天皇制の維持(国体護持)、象徴天皇制、共産革命の防止、朝鮮戦争と基地提供・安保条約、経済復興など難題山積であったことは認めるが、天皇外交の功罪が批判的に研究されるべきとの立場。戦禍を被ったアジア諸国への謝罪と反省の薄さ、沖縄への感情の浅さ、米軍への謎の信頼など、昭和天皇の思想や政治的介入には結構手厳しい。知ってか知らずか割と政治的行為をふわっとやっていた模様(1950くらいまで)。一方で平成の現上皇の象徴天皇定着路線にはかなりポジティブ評価。平成になってようやく、ぬるぬる続いてしまった昭和前期のけじめがついたってことなんだろうか。

 

【詳細】

<目次>

  • 第一章 「昭和天皇マッカーサー会見」の歴史的位置
    I 第一回会見の検証
    II 「空白」の戦後史
  • 第二章 昭和天皇と「東条非難」
  • 第三章 「松井文書」の会見記録を読み解く
  • 第四章 戦後体制の形成と昭和天皇
  • あとがき


<メモ>

www.youtube.com