Javaさんのお部屋(サム・ジーヴァ帝国図書館)

Javaさんのお部屋です。引っ越しました。詳しくは「はじめに」を読んでね。スマホ版は全体像が見えにくいから、PC版と切り替えながら見てね。

奇跡の人 ヘレン・ケラー自伝

奇跡の人 ヘレン・ケラー自伝 (新潮文庫)

【概要】
著者(監督):ヘレン・ケラー 訳:小倉 慶郎

記憶にある限り、生涯で最も大切な日。それはアン・マンスフィールド・サリバン
先生がやって来た日である。この日を境にまったく違う人生が始まる。その前後のあ
まりにも対照的な人生を思うと、不思議な思いでいっぱいになる。
1887年3月3日、私の七歳の誕生日の三ヶ月前のことだ。
運命の日の午後、私は玄関に立ち、静かに、しかし心を躍らせながら待っていた。
その日は、母の身ぶりや家の中で人が走り回る気配から、何か特別なことがあるのだ
と何となくわかっていた。それで外に出て、玄関の階段のところで待っていたのだっ
た。

後天的三重苦でおなじみ、超人ヘレン22歳のときの著。88歳没なので、まだ人生の1/4のときだったのねん…。相棒というか伴侶のサリバン先生とは二人三脚で、「サリバン先生は、あまりに身近にいるから、私と先生を切り離して考えることはほとんど不可能だ」。

家族の愛情と裕福な家庭環境に加え、愛・厳格さ・献身の化身サリバン先生は遊びを取り入れた好奇心ドリブンの授業を敢行。半ば伝説化した先生との"water"体験で「ことばの神秘の扉が開かれた」あとは、「全存在を短い一日に注ぎ込む小さな虫のように」言葉や書物を猛烈な勢いで学習し、内的世界を開拓。獣のような幼少期からは想像できない知性を発揮、ラドクリフ・カレッジ(ハーバード大女子部)にサリバン先生と殴り込むまでに至る。ハンディキャップを好奇心・社交性・努力で克服した彼女曰く、「ひたすら、練習、練習、練習のくり返し」。

 

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【詳細】
<メモ>

  • 行住坐臥あらゆる体験のたびにすかさず先生の指文字。金魚鉢に手を突っ込む、海岸で見つけたカブトガニを家まで連行する、鉄橋ヒヤリハット(stand by me)、雪ぞりに乗る、などなど。読書はもちろんチェスやトランプもできる。形状や点字で補助すれば意外となんとかなるもんだぁ。幾何は糸、地理は粘土で学んだ模様。
  • ボストン、タスカンビアなどアメリカ中を訪問。有識者聾学校を訪問。このバイタリティとマネー。
  • サリバン先生との幼少期の学習がベストで、試験のための詰め込みには否定的。
  • 類まれな触覚と第六感で重篤なハンディキャップをカバー。人の口に触れることで発音練習もする。「ひたすら、練習、練習、練習のくり返し」「知識とは幸福」。
  • 語学については、英はもちろん仏独羅をマスター。感受性が強く詩的な表現や(見えないのに)情景描写に光るものあり。弱点は「自分の考えと、本で得たものとの区別がきちんとつかない」こと。数学は苦手。
  • さすがに通常のペースでの授業にはついていくのに苦労し、「この十一年間ではじめて、先生のいとしい手が、もはやこの労働には耐えられないように感じられた」。
  • 文学作品や歴史の鑑賞は「感動できる心さえあれば」よく、アカデミックな批評は不要。「文学は私のユートピア」。

この幸せな日々は、長くは続かなかった。コマドリとマネシツグミの鳴く短い春が過ぎ、果物とバラがあふれる夏が来た。 そして、黄金と真紅の秋が通り過ぎた。どの季節も、好奇心旺盛で幸せな子どもの足もとに、それぞれの贈り物を残していった。
それから冬になり、陰鬱な二月に、熱病がやって来た。 この熱病のために、目からは
光が、耳からは音が奪われ、新生児のような意識のない状態に陥ったのだ。胃と脳の
「急性鬱血」だったという。医者は、もう助からないと考えた。けれども、不思議な
ことに、突然でた熱は、ある朝早く突如として引いた。その朝、家族は喜びに包まれ
た。しかし、医者でさえも、その時、私が二度と見ることも聴くこともできなくなっ
ていたとは知る由もなかった。

 

🔥闘争心🔥

私の中には抑えがたい「力」がある。友人たちの説得にも負けず、私の心の願いすら聞こうとしない。その「力」が、目が見え耳が聞こえる健常者と競って、力を試そうと私を駆り立てたのだ。行く先々でさまざまな障害があることはわかっていた。それでもその障害に打ち勝ちたかった。

 

HELEN KENJI

私は、人の目に入る光をわが太陽とし、人の耳に聞こえる音楽を私の華麗なシンフォニーにしよう。人の唇からもれる微笑みを、自分の幸せと感じられる人間に私はなりたい。

 

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〇「ことばの神秘の扉が開かれた」"water"事件

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