評価:B+
【評】
ケンヂ珠玉の童話集を集めた。
『又三郎』『ゴーシュ』『やまなし』『グスコーブドリ』等。
「そうそう、苔の野原の夕日の中で、わたくしはこのはなしをすきとおった秋の風から聞いたのです」
「波から来る光の網が、底の白い磐の上で、美しくゆらゆらのびたりちぢんだりしました」
そんな感じの山川草木花鳥水月風光明媚な世界に没入せよ。
そして物語に象嵌された「ぐんぐん」「てんてん」「かぷかぷ」「もかもか」などの不思議オノマトペを感じろ。
もはや現代にあっては大人向けの童話集となった感があるが、
きつねやかえるや猫や人やらが織りなす物語には、
人間社会の真実や欺瞞、そして理想の一類型がしかと刻印されている。
『雪渡り』では偏見、『蛙のゴム靴』の嫉妬、『猫の事務所』のいじめ。
人間よりも動物のほうがリアリティを感じてしまうのはナゼ。
『風の又三郎』
どっどど どどうど どどうど どどう
青いくるみも吹きとばせ
すっぱいくるみも吹きとばせ
どっどど どどうど どどうど どどう
ある秋の日、いなかの学級に、ヤツは風のようにやって来た。
「そうだ。やっぱりあいづ又三郎だぞ。あいづ何かするとききっと風吹いてくるぞ」野山の原や藪や川で遊んだひと秋の思い出を残し、
アウトサイダー又三は風のようにクールに去るぜ。
どうか、その思い出だけは風に吹かれてゆきませんように。
「そうだないな。やっぱりあいづは風の又三郎だったな。」
『セロひきのゴーシュ』
やっぱり猫さんだけが割を食ってる気がする…
『やまなし』
クラムボン。
『グスコーブドリの伝記』
向学心、克己心、自己犠牲。
ケンヂが夢見た人間の理想型が垣間見える。
できるなら、働きながら勉強して、みんながあんなにつらい思いをしないで沼ばたけを作れるよう、また火山の灰だのひでりだの寒さだのを除くくふうをしたいと思うと、汽車さえまどろこくってたまらないくらいでした。
「それはできるだろう。けれども、その仕事に行ったもののうち、最後の一人はどうしても逃げられないのでね」
「先生、私にそれをやらしてください。どうか先生からペンネン先生へお許しの出るようおことばをください。」
「それはいけない。きみはまだ若いし、いまのきみの仕事にかわれるものはそうはない」
「私のようなものは、これからたくさんできます。私よりもっともっとなんでもできる人が、私よりもっと立派にもっと美しく、仕事をしたり笑ったりしていくのですから。」