【概要】
著者(監督):小林多喜二
誰かの言っていた「カムサツカ体操」を求めて。
「おい地獄さ行(え)ぐんだで!」
で始まる地獄の船旅。労働者たちが家畜のように扱われ、仮借なき搾取により心身ボロボロになるも、「人間の命を何んだって思ってやがるんだ!」という思いから有志がサボタージュという反抗に出る。一度は失敗するも再起する。胸熱くなる場面もあり、確かに純な当時の青年が読んだら革命的な方向に行っちゃうだけの魔力はあるようだ。著者が当局に睨まれて凄惨なリンチを受けたのも納得ではある。
【詳細】
<目次>
- 蟹工船
- 一九二八・三・一五
<メモ>
〇🦀
「おい地獄さ行(え)ぐんだで!」
「糞壺」と呼ばれた汚い船内、船も胃の中もぐるぐるする時化、「粗製ゴムのような死んだ色の膚」をした労働者、資本家に連なる絶対権力者・監督の暴行、いやまさに「人間の命を何んだって思ってやがるんだ!」という感じ。
人間の身体には、どのぐらいの限度があるか、しかしそれは当の本人よりも監督の方が、よく知っていた。
そこでは誰をも憚らない「原始的」な搾取が出来た。「儲け」がゴゾリ、ゴゾリ掘りかえってきた。しかも、そして、その事を巧みに「国家的」富源の開発ということに結びつけて、マンマと合理化していた。抜け目がなかった。「国家」のために、労働者は「腹が減り」「タタき殺されて」行った。
自らの眠れる力に目覚めた男たち。
それは今まで「屈従」しか知らなかった漁夫を、全く思いがけずに背から、とてつもない力で突きのめした。突きのめされて、漁夫は初め戸惑いをしたようにウロウロした。それが知らずにいた自分の力だ、ということを知らずに。
―—そんなことが「俺たちに」できるんだろうか? しかしなるほど出来るんだ。
リベンジ。
「大丈夫だよ。それに不思議に誰だって、ビクビクしていないしな。皆、畜生! ッて気でいる。」
「本当のこといえば、そんな先の成算なんて、どうでもいいんだ。——死ぬか、生きるか、だからな。」
「ん、もう一回だ!」
そして、彼らは、立ち上った。——もう一度!
そこからは労働者たちは再度団結し、サボりリスタート。
女の話とか、陸(おか)からの届け物とか、同僚の水葬とか、印象的なシーンあり。
「彼らはその何処からでも、陸にある自家(うち)の匂いをかぎ取ろうとした。乳臭い子供の匂いや、妻のムッとくる膚の臭いを探した」
意外と清冽な情景描写があったりもする。
空気が硝子のように冷たくて、塵一本なく澄んでいた。——二時で、もう夜が明けていた。カムサツカの連峰が金紫色に輝いて、海から二、三寸くらいの高さで、地平線を南に長く走っていた。小波が立って、その一つ一つの面が、朝日を一つ一つうけて、夜明けらしく、寒々と光っていた。——それが入り乱れて砕け、入り交れて砕ける。その度にキラキラ、と光った。鷗の啼声が(何処にいるのか分らずに)声だけしていた。——さわやかに、寒かった。
〇1928.3.15
国家権力の虐待を描いた群像劇。収容されるまでと、されてからの描写がなかなかリアル。組合員たちへの拷問や彼らの獄中での暇つぶしの描写とか、彼らを監視する巡査側も退屈したり同情している描写とか、それも含めて諸相を描いているのが興味深い。
おなら出まくりになったときに「おかしくて、おかしくて、たまらなかった」などと淡々と悲喜劇を描いている点が面白い。しかし決めるところではしっかり決め、最後には「日本共産党 万歳!」と叫ぶ。これは当局からにらまれますなあ。