【概要】
著者(監督):カミュ 光野博司訳
タイムリー。日々バタバタ人が倒れていく感じとか、都市封鎖の感じが味わえる。北アフリカの陽光や熱砂も感じられる。
こういう極限状態や生死の狭間にあると、その人の大事なものとか価値観とかが露わになるよね。ただ、ちょっと長いのでダレる。
【詳細】
<メモ>
訳者曰く、「いつの時代にあっても私たちの惑星のいたるところで人間を襲うあらゆる不条理な暴力との闘いの物語」。人物図を描きながら読み進めた方がよいかもしれない。
四月十六日の朝、診察室を出た医師ベルナール・リユーは、踊り場のまんなかで一匹のネズミの死骸につまずいた。その時はさして気にも留めず、とっさに脇によけて階段を下りた。しかし、通りへ出ると、ネズミがいたのが妙な場所だったと思いなおし、引き返して管理人に報告した。ミシェル老人の反応を見て、リユーは自分の発見したものがいかに異様であったかをますます強く感じた。
すべてはここから始まった(; ・`д・´)
リユーは奮起した。あそこに確実なものがある、日々の労働のなかにこそ。その他のものは取るに足りないつながりと動きに起因するものであり、そんなところにとどまってはいられない。いちばん大切なことは自分の職務をよく果たすことだ。
俺は俺の責務を…!
届け出の義務と隔離は維持される。病人の出た建物は閉鎖し、消毒しなければならない。近親者は一定期間隔離され、埋葬はいずれ明らかにされる条件のもとで市が執りおこなうことになった。次の日、血清剤が航空便で届いた。治療中の患者には十分な量だった。ただ、授病が広がれば足りなくなるだろう。リユーが打った電報にたいしては、救急用のストックが底をつき、新たな製造を始めたとの答えが返ってきた。
市門の閉鎖がもたらしたもっとも目立った結果のひとは、実のところ、心の準備もできていなかった人びとがいきなり離れ離れの状態に置かれたことである。母親と子ども、夫婦や恋人たちは、数日前にしばしの別れのつもりで、互いを気づかうことばを二言三言交わしつつ、駅のホームで抱擁し合ったのだ。数日あるいは数週間後には再会できると疑いもせず、彼らは人間的な愚かしい信頼感にひたりきり、一時的な別れのために日頃の関心事から心をそらすこともほとんどなかった。ところが突然、決定的に引き裂かれ、ふたたび会うことも、連絡をとることもできないとわかったのだ。
そこで、電報が私たちに残された唯一の手段となった。相互の理解と心情と肉体によって結ばれていた人びとが、大文字の十語からなる電文に、かつて心がつながっていたしるしを探し求めることを余儀なくされた。そして結局、電報に使うことのできる文句はすぐに枯渇してしまい、長くともにしてきた生活や苦悩に満ちた感情はたちまち、「バンジ ブジ アンジテイル アイヲコメテ」といったできあいの言い回しの周期的なやり取りに帰してしまった。
こうして彼らは、すべての囚人や流刑者と同じ深い苦しみ、なんの役にも立たない記憶を抱いて生きる苦しみを味わっていた。彼らがたえず思いをはせる過去でさえも、悔恨の味しかしなかった。その過去にできることなら、自分たちが待つ人とかつていっしょにできるときにしておかなかったこと、やり残したのが悔やまれるすべてを付け加えたかったであろう。
コロナ禍でも多くの人々の「経験」という資産が失われておるぞい。
「純正のワインは殺菌効果がある」という効用書きを掲げたカフェもあり、アルコールが感染症から守ってくれるというすでに大衆に行きわたっていた考えは、世論からさらに強い支持を得た。毎晩深夜二時ごろには、少なからぬ数の酔漢がカフェから追い出されて街路を埋め尽くし、思う存分気ままな話に興じていた。
いつの時代も商魂たくましいヤツが出現しますやなあ~。殺菌効果を謳う者のほかには、ペスト禍を神の罰だと言い立てる者、隔離された市域から逃亡する者、犬猫を駆除する者、予言者めいたことをいう者などが現れる。
憐憫が無力であるとき、憐憫にも疲れてしまうものだ。そして自分の心がゆっくりと閉ざされていくその感じのうちに、医師はこの押し潰されそうな日々におけるただひとつの慰めを見出していた。彼は自分の仕事がそれによって容易になるからこそ、彼は喜んだのだ。
彼は、全体としてペストの進行を追っており、疫病の重大な転換期は、ラジオがもはや一週間の死者が何百人であると報じる代わりに、一日に九十二人、百七人、百二十人と報じるようになったときであったと的確に指摘している。「新聞と当局はペストを相手に知恵比べをしているのだ。百三十は九百十より大きな数字ではないから、彼らはペストからポイントをかせいだと思っている」。
いかにもありそうな話である(; ・`д・´)
「こんなことを言うと笑われるかもしれないが、でも、ペストと闘う唯一の方法、それは誠実さなんだ」
「なんですか、その誠実さというのは」と、急に真剣な顔つきになってランベールは言った。
「一般にはどうかは知らない。しかし、ぼくの場合には、自分の職務を果たすことだと知っている」
やはり自分にできることをコツコツやるしかないのか。
はじめのころ私たちの儀式を特徴づけていたもの、それは迅速さであった。あらゆる手続きが簡略化され、大概の場合に葬儀が廃止された。病人は家族から離れた場所で死を迎え、通夜は禁止された。その結果、宵のうちに死んだ者は付き添いなくその夜を過ごし、昼間に死んだ者は遅滞なく埋葬された。もちろん家族には知らされたが、多くの場合、それまで家族が病人のそばで暮らしていたなら隔離されたので、そこから動くことができなかった。家族が故人と同居していなかった場合には、指定された時刻に出向いたが、それは墓地へと出発する時刻であり、遺体はすでに洗浄されて棺に納められていた。
記憶も希望もなく、彼らは現在に身を落ち着けていた。実のところ、すべてが彼らにとっては現在となっていたのである。これは言っておくべきだが、ペストは全員から愛の力を、そして友情の力さえも奪い取っていたのだ。なぜなら、愛とはいくらかの未来を要求するものであるが、私たちにはもはや現在の瞬間しか存在していなかったからである。
この新しい事態はすべての人びとの話題になり、彼らの心の底には、秘められた大きな希望が高まっていった。他のすべては後景へと追いやられた。ペストの新たな犠牲者たちは、この途方もない事実の陰に隠れてしまった。統計の数値は下降していたのだ。健康の時代が戻ってくることへの希望は、公に表明されることはなくともひそかに待たれていた。その証拠のひとつは、市民たちがこの時から、無関心を装いながらも、ペストのあと生活がどのように再編されるのかについて進んで話したということである。
明けない夜はない!