【概要】
著者(監督):角田房子
- 「何処へでも、何時でも、私が証人として行くから」
- 「それでもなお戦争犯罪者として裁こうとするのなら、監督指導の地位にある最高指導者を責めるべきで、個々の将兵を裁くべきではない。よって速かに私を戦犯収容所に収容し、裁判に付せられたい」
- 「どんな方法でもいい。一人でも多く助かるように骨折ってくれ」
などの半ば伝説と化した聖将ムーブが光る。
聖書と歎異抄を座右に、人格陶冶に勤しんだ人生。部下戦犯の救済に力を注いだと聞くと、自己犠牲を厭わぬ聖人を想像するが、実はぬけめのない人でもあった模様。戦犯に対する平等な態度やネヴァー・ギブアップ精神で周囲を徳化していく様は豪軍にも一目置かれていたらしい。確かにそこにいるだけで周囲が善的な方向に向かっていくような人っているよね。彼もそんな人だったのかも。
【詳細】
<目次>
- ラバウル戦犯収容所(今村大将、自決をはかる;迷える小羊のために ほか)
- 太平洋戦争勃発まで(均少年と角兵衛獅子;結婚 ほか)
- 太平洋戦争開戦(ジャワ攻略戦―重油の海の立ち泳ぎ;全蘭印軍無条件降伏 ほ
- か)
- ジャワ裁判始まる(獄中の「八重汐」大合唱;裁判に立ち向かう気魄 ほか)
- 晩年(帰国、出獄、そして自己幽閉;舞中将の述懐)
<メモ>
平等・穏和・自省。幼少期から自分に厳しく他人に甘いような聖人だったのかと思いきや、駐在していた英国からの帰国前は意外と短気だった模様。戦陣訓の作成にも関わっていたという負の部分もあり。戦陣や収容地での弛まぬ人格陶冶が、聖将と呼ばれた彼の精神を作り上げたのかもしれない。
今村の部下エピソードや著者の所感・想い出がシームレスに入ってくるのでやや読みにくい。
〇GOOD POINT
- 責任の所在を明らかにする姿勢
- 盛岡市街での交通事故⇒「この女の子を妻にしなければならない」との責任感
- 比較的寛容なジャワ軍政
- 命を無駄にしない主義⇒ラバウル地下要塞持久方針⇒ラバウル自給自足工場+学校
- 教育や訓練好き
「今村大将は収容所では半ズボンだけで、小肥りした黒光りする上半身を太陽にさらして畑作りに余念がない。全くお百姓さんの好々爺であるが、今日は陸軍大将の軍服に武勲を物語る数条の略綬を帯び、堂々たる軍司令官の威容は法廷の空気を圧して、証人席につかれた」
「最後に私は堅く信じている」と今村は書く。「聖書は父の如くに神の愛を訓え、歎異抄は母の如くに神(仏)の愛を訓えている――と。これは、一つのものの裏と表とだけの違いである」
- スカルノ「今村大将は本物の侍だった。……紳士的で、丁重で、気品があった」
- マッカーサー「私は今村将軍が旧部下戦犯と共に服役するためマヌス島行きを希望していると聞き、日本に来て初めて真の武士道に触れた思いだった。私はすぐ許可するよう命じた」
敗戦のためにdisられがちな旧軍軍人の中にあって、近年再評価されている人物といえば…。