Javaさんのお部屋(サム・ジーヴァ帝国図書館)

Javaさんのお部屋です。引っ越しました。詳しくは「はじめに」を読んでね。スマホ版は全体像が見えにくいから、PC版と切り替えながら見てね。

背教者ユリアヌス

背教者ユリアヌス(一) (中公文庫)

【概要】
著者(監督):辻邦生

(一)4世紀半ばのローマ帝国コンスタンティヌス大帝の治世の中、つかの間の繁栄を享受していた。が、彼の死とともにローマ帝国に嵐が巻き起こる。そんな時代を生きた、内向的で学者肌の皇族の生き残り・ユリアヌスの大河ドラマ。不遇な幼年期と学業に精励する少年期。皇帝になる姿が想像できん…。

(二)ディアとエウセビアとの出会い、兄ガルスの副帝登用と処刑、学究生活の再開。いろいろあった。それでも古き良きギリシア・ローマ文化への憧憬や真理の探究は消えることはない。そんな中、ユリアヌスもまさかの副帝に任じられ、ガリア戦記スタート! とりあえず佞臣死すべし。

(三)異世界転生モノもびっくりの軍事や行政の才を見せつけたユリっぺ。あの哲学青年のどこにこんな人心掌握の才が潜んでいたのか。トラヤヌス帝時代の砦を見つけたりするなどガリア統治が軌道に乗りかけたところで、宮廷の権謀術数の網からは逃れられず…いろいろあって挙兵する。理想家たる彼は現実のローマと理想のそれとの違いに否が応でも気づきつつあった…。

(四)帝都での決戦に気合を入れていたところ、まさかのコンスタンティウス帝急死。ユリアヌス帝誕生。反乱分子の排除、宮廷財政の緊縮、信教政策の転換などの改革を性急に進めるが、キリスト教徒との折り合いは悪く…。そんな中、東方遠征に向かうが巻末のネタバレ通り戦死する。人の夢と書いて…。兵どもが夢の跡…。

しつこいくらいのディテールの描写が作品世界のリアリテを高めている。

 

どうか、諸君、これだけは覚えていて貰いたい。われわれの意図がこの世で実現せられずとも、人間にとって意味があるのはその意図であって、結果ではないということを。

 

【詳細】

<あらすじ>

巻末より。

時代の大きな変革期には、つねに時代を象徴するごとき人物が、壮大な悲劇を強いられて、歴史のなかに立ちはだかる。背教者ユリアヌスが立たされたのは、まさに古代的現実が、激しくゆすぶられ、古代を支配したあらゆる精神、人間観、価値観が危機に立たされた四世紀から五世紀への過渡期である。現在のイスタンブールにローマから都をうつし、コンスタンティノポリスを建設し、キリスト教を国教として承認し、ビザンツ帝国の基礎をひらいたコンスタンティヌス大帝の甥にうまれ、自らキリスト者として洗礼をうけたユリアヌスは、その燃えつきるような三十二年の短い生涯を、すべて古代異教の復興に賭け、音をたてて崩れる地中海古代を支えようと最後の悲劇的な苦闘をつづけるのである。
もちろんそうした精神や文明の悲劇に関係なく、ガリアの野では蛮族の討伐がおこなわれ、兵士たちは故郷を思い、町々の女たちと戯れたにちがいなく、またペルガモの市民は商売に精を出し、小アジアやシリアの町々では暑い日を浴びながら市が雑踏し、男は女を恋し、女は男をたぶらかしたにちがいない。私には、なぜかそうした歴史の変貌と、永遠に変りない人間のあくことない生活の諸相とが、現代の状況と二重うつしになって迫ってきて、しばしば息苦しいような気持になったのである。

 

ゾナス氏、ユリアヌス帝を待望す。

「しかしおれたちが願うようなギリシア古代の知恵が戻るには―神殿や聖域や泉や檞の森に清らかな神々が戻るには、どうしても君自身が皇帝になるほかない。いや、君が皇帝になるのは、古代の神々をローマに呼び戻すためなのだ。君は全ローマに呼びかけるべきだ。おれたちは君がくるのを待っていたのだ。そうなのだ、君がくるのを今か今かと待ちうけていたのだ、ギリシアの神々のためにね


<メモ>

▶揺籃期

父とともに見た競技場での戦車競走や、剣闘士たちの血みどろの戦い、市での買物、お喋りの従姉たちと出かけた森の散歩、劇場でみたソポクレス劇、温厚なマルドニウスが講義したホメロスやヘシオドスの写本、その写本に従姉の一人がいたずら書きした滑稽なプッティの姿、それを見ると、いつもふきだしそうで、講義のあいだ困ったこと、父が亡くなったころの暗い日々、葬列が糸杉のあいだをうねっていたこと、ユリウスと会った大宮殿のきらびやかな広間、狩猟や祝典に明け暮れした宮廷の日々 そうした思い出が、なにか祭礼の行列のようにバシリナの眼の前をながれていった。
「いろんなことがあったわね」
バシリナは昔の情景を、すきとおった、青灰色の、謎めいた眼に、まだ浮かべているような表情でそう言った。

眼眩めく情景のパノラマ。こういうのがね、ニクいのね。

 

マルドニウス老人の気持では、あの粗野な、投げやりな、まるで唾をとばして話すような、品位もなく、修辞の初歩さえ弁えぬガリラヤ人の弟子たちの教説に、ユリアヌスの魂をふれさせるのは、処女雪のうえを泥靴で踏み荒すような残忍さを感じさせたし、何よりも精神の調和のとれた成長をはばむように思えたのである。

 

ゾナスの言葉を聞いていると、夏の夜明けの爽やかな風が草の葉の露を揺らしたり、花の香りの流れてくる丘で乙女達とすれちがったり、銀色の新月が大鎌のように海のうえに懸ったりする光景を、まざまざと眼に見るような気持になるのだった。それは少なくとも教父たちのあの厖大な著述のなかで、無限につづく傍証によって、エデンの生命の樹が、いかに救世主を磔にした十字架と同一の木であるかを論じたり、砂漠に降るマナが、いかに救世主のパンの奇蹟を予告しているかを考証したりするのを読むよりは、はるかに、愉悦と甘美さににみたされた読書であった。そして一度こうした恍惚とした部剛の数刻を味わったあとでは、文字の単なる羅列に過ぎない、あの砂を噛むような膨大な考証は、まったく無な、気の遠くなるような徒労に見えてくるのだった。

キリスト教浸潤前の古代への憧憬。

 

▶少年期~ローマ帝国の広大さを添えて~

「大帝がキリスト教を公認したのは信仰からではない。彼らの熱狂をローマ帝国のために使うためだったのだ。だからこそ、大司教は皇帝と取り引きをしたのだ。キリスト教徒は皇帝を熱烈に崇拝することで自由を手に入れたのだ。彼らが皇帝崇拝を拡げれば、帝国では、信仰はいっそう強固になり、したがってキリスト教は一段と栄える──まあ、こんなからくりが首都宮廷に隠されている。そうした問題をお前のように、まともに考えたら、何一つ理解できなくなる。おれたち統治の任にあるものは、何が真理であるかを考える必要はない。おれたちはいかに帝国を統治しうるかを考えれば、それで十分なのだ。手段について思い及ぶ必要はない。帝国統治が完全なら、その手段は正義になる。政治とはそういうものだ。まず実際の生活がある。統治がある。軍隊の維持がある。法律の制定がある。土木がある。交通がある。それらを完全に動かすこと、それが、おれたちの正義だ。そのためなら、どんな手段も許されるのだ。たとえ千人の無辜の人間を殺さなければならないとしても、それでローマの平和が保てるなら、おれたちはそれをやらなければならないのだ。政治とはそういうものだ……」

 

アクィレイア離宮の屋根をかすめて吹く風がおとろえ、時おり港のほうから鳴が飛んでくるようになっても、ユリアヌスを呼びにくる役人の姿は見えなかった。ユリアヌスは部屋の窓のうえで、鳩がくうくう鳴く声を聞きながら、プラトンに読みふけった。夕方になると空が赤く染り、それはやがて淡い草色に変った。ユリアヌスはそんな夕空を眺めながら、ニコメディアの祖母の家や、リバニウスの学塾や、写字生に筆写さてていたアリスタルコスの註解書や、首都で評判をとっている眼のきらきらしたディアのことを思い浮べた。
こうしたものが彼の身近にあると感じたのは、つい昨日のことだったのに、それは、いまでは遥か地中海の彼方に消えていた。なるほど、それらとユリアヌスを距てるのは、ながい航海──暗い雲の垂れる荒れた海や、風にはためく帆や、櫂の軋りや、船首像に砕ける波などにすぎなかったが、しかし一度こうして遠ざかると、単に場所が遠ざかっただけではない、別種の変化が、そこに生れていた。それはローマ帝国の東と西という相違だけではなく、何か別個の、到達しがたい世界に変ったような気がしたのである。

こういった眼眩めく情景のパノラマね。 

 

ユリアヌスはそのとき、突然、ギリシアに着いた日に感じたのと同じ歓喜と幸福感が、身体の奥から噴きあがってくるのを感じた。
「そうだ。この歓喜は、私が地上にこうしてあることから生れているのだ。赤々と拡がる夕焼けがあり、壮麗な星が輝き、花の香りを運ぶ風が吹くということ、そのことから生れる歓びなのだ。私は、この緑の大地から離れることはできない。いや、離れるどころか、私は木立や、風や、書物や、噴水や、花が好きなのだ。都会や市の喧騒こそが人間の歓びなのだ。通りすぎる女たちの笑い、布地を叩き売るシリア人の嗅れ声、立ったり座ったりする客たち、列をつくって行進する軍隊、鎚をふるう職人──こうしたもののうえに太陽が輝き、星がめぐるのだ。そうなのだ、町町があり、船が海をわたり、奴隷たちが大地を耕し、大工が家を建てるということ、そのことが歓びなのだ。そしてこの広大な世界を一つにして、そこで人々が生き、たのしみ、喋り、働き、旅をするのを保証するのがローマ帝国の役割なのだ。ローマ帝国の役割は地上に在ることの歓びを担いつづけることなのだ……」

 眼眩めく(以下略

 

▶恋

権謀術数渦巻く宮廷や各地の叛乱のなかで、勉学と恋愛だけがユリアヌスの心のオアシスやったんや。間違いなくオリジナルキャラだけど、小説的にはこういったキャラがいると話を回しやすそうやな。

君は、はじめて会ったときから、ぼくのことを、からかってばかりいたね。君は笑ってばかりいたね。でも、ぼくは、君と一緒にいると、本当に心が明るく、楽しくなったんだよ。君のことを考えると、自然と気持が楽しくなって、笑いが浮んでくるんだよ。こんなことは、いままで味わったこともなかった。ゾナスや学塾の仲間といても楽しい。しかし君と一緒だと、懐しい、明るい気持になるんだ。ぼくはそのことを君に言いたかったんだ。それは本当に素晴らしい経験だった。この気持を君にわかって貰いたかったんだよ……」
「でも……」ディアは首を左右に振った。「私は首都に行きたくないんです。この町に残るつもりです。首都なぞに行きたくありません」

 

「あなたも、この町から出てゆかれますの?」
「それは、いつか、勉強が終ったらね。だって、アテナイアレキサンドリアや、まだまだ偉い学者の集まっている都市があるからね」
「それでしたら、そのときは、私もこの町を出ます」
「どうして?」
「どうしてって……」ディアは、潤んだ黒い眼で、じっとユリアヌスを見つめて言った。「どうしてって……それは、ディアは、あなたのそばにいたいからです
彼女はそう言うと、顔をそむけ、両手で顔を覆った。その両手の下から押し殺したような嗚咽の声が聞えた。ユリアヌスは呆然としてディアの肩がふるえるのを見ていた。彼はそのときになって、彼女の甘やかな感じに盛りあがった胸や、しっとりと成熟した美しい二の腕に気がつきほとんど動転に似た気持を味わった。

朴念仁、恋情に目覚める。

 

「悲しいにつけ、嬉しいにつけ、私はディアの屈託ない笑い声を聞きたかった。ゾナス達と気楽な話をしたかった。ディアのそばにいると、不思議と生きていることがたのしかった。笑ったり、喋ったり、野苺をもいだりすることが、それだけで意味があるみたいだった。ふだんならブラトンを読まずにいたら、時間を空費したように感じるのに、ディアと一緒にいると、そんな気持にならなかった。いや、時には本に読みふけるよりたのしかった。ディアとともに、踊ったり、はねたりしたかった。大声で歌をうたいたかった。私たちは舟つき場のそばで、はじめて抱擁した。ディアは私の身体を離さなかった。私たちは小犬のようにふざけあった。私は、あのとき、はじめて自分が一人ぼっちでないのを感じた。暖かい寛衣で自分が厚く覆われるような気持がした。ディアのそばで生れてはじめて私は寛ぎという気分を味わったのだ……」

オイコラ(*'ω'*)

 

「いいえ、そんなことはありえませぬ。もしコンスタンティノポリスにいらしたら、私はきっと捜しあてたと存じます」
「そんなことはわからぬではないか」法官は頭をふった。
「いいえ、わかります。私には、わかるのでございます」
「なぜそなたにはわかるのだ?」法官は笑うような表情で言った。
「こんなことを申しあげるのをお許し下さいませ。私は……軽業師ディアは、低い身分を顧みませず、ひそかにユリアヌス様を愛しているからでございます
広間の人々は、この言葉をきくと、いっせいにざわめき、なかには皇帝のいるのも忘れて、思わず立ちあがる者もいた。それは何か突然思いもしない棒の一撃が大きな蜂の巣にぶつかったような感じに似ていた。一度その言葉が口を出てしまうと、もはや、どうにも収拾がつかなかった。

シビれたね。 

 

▶哲人皇帝、戦塵にまみれる

「私は、兄のように、こうした酷薄で愚かな人々に血で復讐したいとは思わない。私の武器は言葉しかないのだから。だが、私は、この言葉を使って、ローマ帝国じゅうの人々と戦うだろう。私はつねに一人だ。エウセビアがいてくれるが、言葉で戦うとき、私はただ一人とならなくてはならぬ。だが、私は決して黙るまい。つねに言葉で戦い、言葉で人々の愚味、冷酷、残忍、軽薄、軽信、自惚、貪欲をあばくのだ。彼らがいかに過ち、いかに神々の道を踏みはずしているか、私ははっきり示すのだ。私がガリアを統治するとして、私にできることは、そうして明らかになった正義を、そのまま、ためらいなく、現実にうつしてゆくことだ。

 

ユリアヌスは哨兵の報告を聞くと、プラトンの著作を机のうえに置いたまま、ただちに胸甲をつけ、城壁にのぼった。西に傾いた月の光を浴びて、夜の闇の底に夥しい数の蛮族兵が鬨をつくって城壁の下へ押し寄せていた。警鐘が乱打されていた。女子供は町の奥に退避し、男たちは、兵隊たちとともに、定められた部署へ走った。ある者は櫓のうえから大石を投じる役目であったし、また別の者は大石を櫓まで運ぶ役目を与えられていた。火箭が飛んで、火災が起ることも考えられたので、女たちのなかには、泉から水を汲んで消火に当るように言いつかっている者もいた。

 

どのくらい時間がたっただろうか。すでに夜明けの光が寒々とあたりに忍びよっていた。一面の深い霧であった。いつかレミに走りこんだ朝と同じような白い乳のような濃霧であった。
ユリアヌスは霧のなかをゆっくり歩いた。兵隊たちは胸壁の角で眠っていた。眼は窪み、土色の肌をし、ぐるぐる巻いた布に血がこびりついていた。ユリアヌスは兵隊の一人一人を抱きしめたいような衝動を感じた。
「この深く疲れた姿以上に、人間の忠誠を語るものがあるだろうか」
ユリアヌスはそう思った。彼は年若い少年が槍を抱いて眠っているのを見、この少年だけは助けたいと思った。
風は落ちていて、あたりは異様に静かだった。やがて太陽がのぼり、霧がはれはじめた。一枚一枚ヴェールを剥ぐように薄れていった。しかしそこにはあの夥しいアレマン族の姿は見えなかった。夜の闇とともに消えさったように、その姿は跡形なく消えはてていた。
ユリアヌスは茫然としてその空虚な山野を見渡した。そのとき突然、攻撃を断念したアレマン族が兵を引きあげたのだということにユリアヌスは気がついたのであった。

英雄爆誕

 

ユリアヌスはこうした戦術を夜おそくまでセヴェルスやサルスティウスを相手に練り、朝になると、将軍たちが各軍団を率いて、実戦さながらの訓練を行なった。時おりユリアヌスはこうした緊迫した状況のなかでプラトンホメロスの読書にゆっくり時間をさけないのを残念に思ったが、しかし哲学や修辞学を学ぶことと、戦略を練ることとのあいだに、それほど大きな差異があるとは思えなかった。ユリアヌスが哲学を学びながら真実であると考えたことは、戦略のうえでも真実であることが多かった。むしろ戦術的に真実であることから、逆に、哲学上の真実が推論しうるようなことさえあるのだった。人間のすべての営みは、たとえ異民族との戦いであろうと、一つであるべきなのだ。それを言葉で厳しく表わしたのが哲学なのだ。哲学と人間の実際の営みとは離れてはならないのだ。こんどのゲルマン人との決戦においても、そこでは哲学的な真実が争われるのだ。ローマが勝つということは、ローマの文明が輝くということだ。そしてローマの文明が輝くというのは、人間が人間の意味を考えるこの哲学が、自らの領域をひろげることなのだ」

 

「この機会に生れあわせた幸運をあらためて考えなければならぬ。それはまさに今日の決戦こそが諸君の名をローマ戦史のなかに不朽のものにするだろうからだ。諸君はまさにそのゆえに生れるという幸運な宿命をもったのだ。諸君、わが勇敢なローマの兵士諸君、諸君はいま、明日の決戦を今日に繰りあげても、諸君の栄光をつかみとりたいと熱望している。ああ、ガリアにローマの光をはじめてもたらしたかのカエサルが諸君を見たら、彼は諸君の勇気を何と言ってたたえたことであろう。諸君、いまや諸君のうえにローマ帝国の栄光にみちた全歴史が眼をそそいでいるのだ。わがローマの子よ、汝らもまた、わが帝国の歴史に栄光の一頁を加えるためにきたれるか、とつぶやきながら....」
ユリアヌスの演説は電撃のようにローマ軍団の兵士たちの心をつらぬいた。彼らは喚声をあげ、ローマ帝国への忠誠を叫び、目前に迫った決戦を何としてもかちとってみせると絶叫した。

 

「陛下、どうか、ご自分の翼のかげが地上に大きく横たわっているからといって、それを他人の翼だというふうにお考え下さいますな。陛下の翼は、いま、そのように大きくなられ、自在に天空を飛翔できるようになっているのでございます」
ユリアヌスは涙を浮べ、サルスティウスの手を強く握った。

 

ローマ帝国は単なる行政書類や訴訟書類の累積のうえに生れているのではない。それはいわばこの巨大な地中海を抱いた無数の生命体からなる途方もない生きものなのだ。そしてこの生きものを養っているのがギリシア古来の神々なのだ。それは言葉のひだに浸みこみ、思想の割れ目に流れこみ、習俗の深みに重くよどんでいる。問題は、表面的にそれが形骸化されたからといって、それを廃棄することではない。むしろこうしたローマ帝国の巨大な生命を救いだす唯一の手段として、もう一度、この美しい神々への追慕をローマ人の気のなかに燃えたたせることだ。でなければローマ帝国はその巨大さのゆえに崩壊してしまうだろう。ローマの心をつなぐ唯一の紐帯が切れたあとで、どうしてこの帝国を一つにまとめることができるだろうか……。

 

いまのあの人の働きを見たら、二年前、メディオラヌム宮廷で、落着かない様子で、孤独に、本をかかえて歩いていたあの人を思いだすことは不可能だ。歳月はただ流れるだけではない。人間をも変えるのだ。そしてそれは人と人との関係も、変えてゆくのだ。二年──それは私たちには、あまりにながすぎた歳月だ。私はもう昔の私ではない。あの人も昔のユリアヌスではない。私たちは岸に立つ人と流れえゆく人のようにだんだんと遠ざかってゆくのだ」
エウセビアは激しい感情が胸をつきあげてくるのを感じた。

 

彼は自分がどこにいるのか、時々、わからなくなった。彼は本当はまだ自分が子供であり、首都コンスタンティノポリスの対岸の離宮で、花びらを拾って、ヴェヌスの首にかけているような気がした。母バシリナも花壇のそばに立っていて、ユリアヌスが花の環を女神像の首にかけるのを、見ているように思えた。ユリアヌスはそのバシリナが皇妃エウセビアの顔になっていたのに、まるで気がつかなかった。彼は黒ずくめの服を着た婆やのアガヴェが、自分のほうに近づいてくるのを見ていた。花の香りがして、羽虫や蜜蜂の唸りが聞えていた。
「なんという地上の美しさなのだろう」
ユリアヌスは声に出して、そう言った。
それはユリアヌスにとって、心からの実感であった。彼の前を無数の事件、無数の人々が流れすぎてゆくような気がした。楽しい出来事もあれば、悲しい事件もあった。浮び上る人もいれば、沈んでゆく人もいた。すべてが変転していた。すべてが興亡のなかにあった。しかしその変転興亡をこえて、青空が輝き、風が木々を鳴らし、雨が窓を打っていた。都市には大勢の人々が雑踏し、叫んだり、笑ったり、駆けたり、愛したり、悲しんだりしていた。

 

「陛下」
サルスティウスが叫んだとき、すでにユリアヌスの息は絶えていた。

 

すでに夕映えは消えていた。ただ風だけが、空虚な砂漠を吹き、砂丘の斜面にごうごうと音を立てていた。砂はまるで生物のように動いて、兵隊たちの踏んでいった足跡の乱れを、濃くなる闇のなかで、消しつづけていた。

諸行無常。 

 

▶永遠なるもの

ユリアヌスにとって、この地上の権力の興亡などは、何かヘロドトスの一節よりもはかない一場の夢のように感じられた。たとえ口ーマ帝国が地中海の全域を含み、霧の深いブリタニアから、熱風が砂漠の砂を巻きあげるシリア、メソポタミアまで拡がろうと、所詮、それは日々の流れのなかで生滅する現世の事柄にすぎなかった。若いユリアヌスが関心を抱いているのは、そうした時の流れに浮沈するものの姿ではなく、あくまでそれらの奥にある永遠不変の思念の世界だったのだ……。

 

「なるほど人間はとるに足らぬ存在だ。人間の意志など飴ン棒のようにねじまげられるかもしれぬ。だが、それにもかかわらず人間は〈よきもの〉を求めて努力するのだ。一人が過てば次の者が、それも過てばさらにその次の者が、だ。ちょうどローマ軍団が城砦を攻めるとき、一人が倒れれば次の者がそれを乗りこえてゆくようにだ」

 

どうか、諸君、これだけは覚えていて貰いたい。われわれの意図がこの世で実現せられずとも、人間にとって意味があるのはその意図であって、結果ではないということを。おそらく意図に反した結果だけが、今後ともローマの歴史を支配してゆくかもしれない。ひょっとしたら結果だけを狙った有効性の観念が人間を支配するかもしれない。しかしそのときになっても人間にとって意味があるのは、意図だけなのだ。この善き意図は、ただ地上をこえて、見えない帝国を空中楼閣のごとく造りあげるだけに終るかもしれない。しかし人間にとっての真の実在はかかる善き意図による帝国なのだ。溢れる涙による真の連帯なのだ。

 

▶巻末付録

古代文献、墓碑等に見られる人名の羅列にすぎなかったが、その人名を見てゆくうち、私は、そこに無数の人々が、身もだえしながら、私の方へ手をのばし、ぜひ作品に自分のことを書いてこの人名の羅列の中から自分を解放してほしい、と懇願しているような気持を感じた。

⇒ 「勝手に生きてしまう」というやつですか…。

 

小説家は、小説の細部まで詳細に書かれた大きな紙を持っている。しかしそれはくしゃくしゃにまるめて、ポケットのなかにしまってある。彼はたしかに自分の作品を「すでに書かれたもの」としてポケットのなかに持っているが、くしゃくしゃにまるめてあるので、自分でも、何が、どう書いてあるか分らない。 そこで、その紙をポケットから出し、すこしずつ拡げてゆく。小説を書くとは、こうして「すでに書かれたもの」を拡げてゆく作業なのだ……。

 

ここには男もいた。女もいた。愛があり、憎しみがあった。行政官庁の中央では地方総督が演説していた。人々は喝采していた。劇場ではギリシア悲劇が、ローマ喜劇が上演されていた。通りには金持も通れば、奴隷たちが穀物袋を運んでいた。市場では衣類が売られ、女たちが集っていた。半円形の図書館では作家がプラトンを読んでいた。
だが、その人たちは、その賑わいは、 いまどこにあるのか。通りは轍の跡を残して暑い太陽に空しく照らされている。神殿の円柱は青空に白く象嵌されているが、石の土台に動くのは、緑の背を光らせるとかげだけなのである。
そのとき、私は人の運命がいかに果敢ないものかを思い知らされた。

 

北杜夫「辻は健康そのものというか、その年にしては、ロマンティックなんですね、ものすごく。これは不思議な人間で、ぼくがこの世で会った人間の中で.…地上や生命に対する、ほとんど信仰ともいっていいものを持ってると思うのね。こういうものを、ちっともはずかしがらないで口にも出せるし、実行もできるという人間は、あんまりいないんじゃないか。