【概要】
著者(監督):笠谷和比古
日光東照宮に行った影響で。そして家康のこと昔からわりと好きだったので。
東照神君・家康の本格的評伝。膨大な参考文献が硬そうな印象を与えるが、意外と読みやすい。家康の生涯をたどりつつ戦国時代も概観できる(近代以前は人間関係や感情が歴史の流れに与える影響が大きく、属人的なような気がする)。
家康、その性格を表すと、堪忍自重、寛容融和、伝統尊重。源氏系の系譜を継いでいるという彼の矜り、江戸開発の先見性、積極平和外交などの特徴にも言及する。温和な堅物といったイメージだが、悲恋ものの狂言新作も作っていたというこぼれ話は面白い。
秀忠遅刻や小早川裏切り、国家安康君臣豊楽、大坂城外堀埋め問題などの真実(たぶん)にも触れる。
【詳細】
<目次>
- 第1章 家康の誕生と幼少時代
- 第2章 桶狭間の戦いと松平家の独立
- 第3章 織田・徳川同盟―永禄五年~天正一〇年
- 第4章 豊臣政権への帰順
- 第5章 関東移封と江戸入部
- 第6章 豊臣政権の分裂と秀吉の死
- 第7章 関ヶ原合戦―新しい歴史像
- 第8章 徳川幕府の成立
- 第9章 大坂の陣と徳川幕藩体制の確立
- 終章 家康の政治と文化
- 付論 家康の親族と女縁
<メモ>
- 「織田がつき 羽柴がこねし 天下もち 座りしままに 食うは徳川」といわれるが、やっぱり苦労人家康。幼少時の母との別れ、織田・今川での人質生活と薫陶、領国経営と数々の戦。そういった人生が彼の心身を錬磨したわけだ。
- 「日ごろは温厚篤実な性格をもって知られるけれども、こと弓矢の道となると一歩も引かない頑固さを露わにする」らしい。
- 爵位や称号(正三位とか征夷大将軍)に注目して秀吉の統一政策を理解する。朝廷の官位制度における上下関係を支配に利用した秀吉。手始めは家康。
- 信長と家康の交わり想像したり、臣下との交歓に思いを馳せる。鳥居強右衛門、鳥居元忠の男前逸話はいつ見ても泣ける。
- 実名(諱)で呼ばないマナーも伝授。
●神君三大危難
関ヶ原合戦はこれら豊臣政権の抱えた諸矛盾、政治的葛藤の総決算と言うべきものであり、同時にその大規模な決着を踏まえて、、新たな徳川幕藩体制の社会を形成していく活気をなすべきものであった。
- 秀吉の跡目をめぐる相続上の争い
- 豊臣家家臣団内部の対立:吏僚派(石田三成ら五奉行)と武功派(加藤清正・福島正則ら)との確執
- 中央集権的な全国統治政策
- 豊臣政権内部での主導権闘争(五大老と五奉行)
- 豊臣家と徳川家の覇権抗争
豊臣系諸大名は豊臣秀頼に対する忠誠を維持したままで、かつ将軍家康の軍事指揮権に従うことが可能になった。これは一種の二重支配であるが、この二重の忠誠関係こそが関ヶ原合戦後の政治関係を律する基本原理になっているのである。
当初は家康、豊臣家を滅ぼす気はなかったという理解。
●家康の政治の特徴
- 法による支配
- 伝統主義に基づく政治
- 大名領有権の尊重
- 学問尊重の文教政策
- 善隣友好の外交
<名言集>
https://www.toshogu.or.jp/about/goikun.php
●誤植