【概要】
著者(監督):山本博文
「島津の退き口」でおなじみ島津義弘。ただの猛将ではなく、島津家の存続に向けて奔走する苦労人であったことがわかる。「本書の目的は、そのような義弘の、「伝統」との格闘を描くことによって、豊臣政権に包摂された戦国大名の「近代化」の努力を明らかにし、戦国から近世へという時代の動きを全国的な視野から見ることにある」。
中央政権への接近、兄・義久との確執、朝鮮の役や関ヶ原での奮戦など、軍略や政略、本能寺の変~関ヶ原の戦頃の日本の情勢も概観でき思いのほか面白かったりする。たびたび『島津家文書』より原文が引用されるので臨場感がある。
【詳細】
<目次>
第1章 戦国大名島津氏の終焉
第2章 豊臣政権に服属して
第3章 島津家最大の危機
第4章 はてしない戦い
第5章 島津領太閤検地
第6章 朝鮮での苦闘
第7章 庄内の乱
第8章 関ヶ原の戦い
<メモ>
薩摩本社の冷ややかな扱いに苛立つ京都駐在員・義弘。
九州平定、朝鮮の役、庄内の乱、関ヶ原の戦いなど、常に戦陣に在った義弘の苦闘を『島津家文書』をもとに描く。
義久自身が国元の武士たちに共感するところが多く、新しい天下を自らの目でみていながら、かならずしも積極的に豊臣政権に奉公しようとはしていない。いっぽう義弘は、島津家の存続のためには新しい時代に適応して、領国経営の方向として、豊臣政権に粉骨砕身してつくすことが絶対条件であると考えるようになっていた。
<関ヶ原の退き口>
敵陣突破しつつ人質を回収して帰薩するという筋肉ルートを選択した義弘。
関ヶ原に駆けつけた者たちは、島津領国あげての軍勢ではなく、義弘をしたう義勇軍だったのである。しかし、軍役数に応じていやいや駆けつける武士と違い、その結束力は関ヶ原の脱出のときに十二分に発揮される。
義弘は、備えを丸くし、小高い丘に馳せ登って周囲を観望した。したがう旗本は二、三百騎になっていた。義弘は、小早川勢に斬りいって最期を飾ろうと考えたが思い返し、
「敵は何方が猛勢か」
とたずねた。
「東よりの敵、もってのほか猛勢」
と聞くと、ただちに、
「その猛勢の中に相掛けよ」
と命じた。