Javaさんのお部屋(サム・ジーヴァ帝国図書館)

Javaさんのお部屋です。引っ越しました。詳しくは「はじめに」を読んでね。スマホ版は全体像が見えにくいから、PC版と切り替えながら見てね。

カラマーゾフの兄弟

カラマーゾフの兄弟〈中〉 (新潮文庫)

著者(監督):ドストエフスキー 訳:原卓也

 

【概要】

(上)キャラ紹介〜大審問官

3年の時を超え原マーゾフで再読中。ロシア的、カラマーゾフ的な人々が情動のままに動き、暴れ、喋る。尖ったキャラ造形や長尺セリフには作家性が、ゾシマの教えや大審問官などのテーマには19世紀ロシアの歴史性が刻印されている。神や愛はロシアの大地や人々とどう結びつくのか? 父と三兄弟と女たちの動力学はどのような解を導くのか? 待て続巻。

(中)ゾシマの教え〜予審

ゾシマの死を嘆く間もなくミーチャ劇場が開幕。しゃべってしゃべってしゃべりまくる。たくさんのキャラクターを動かす著者のRPG的能力に感嘆する。恋愛や推理、神学要素が盛り込まれた娯楽小説とも読めるし、アリョーシャを主人公とした教養小説とも読める。To be continued..

(下)少年たち〜誤審

トロイカの如く驀進する物語に幕。あらゆる感情の極限が紙面から迸り、奔流となって押し寄せる。数多くの登場人物の言葉を辿るうちに事件の内幕が立体的に浮かび上がっていくが、彼らと同様に読者もまた、ミーチャを信じられるかを試されているのである。


【詳細】

ドストエフスキー最晩年の作にして、最高傑作と名高い「カラマーゾフの兄弟」。
これは推理小説か? 恋愛小説か? 
いや、総合小説だ。

原マーゾフ、セリフの訳がこなれており良い。

勇気を出して、2000頁に迫る本作を読み進めていくと、
19世紀末のロシアが、
高潔、慈愛、残酷、信頼、背信、希望、絶望…あらゆる人間の姿が、
彼らのあらゆる感情、あらゆる思いが、
われわれめがけて飛び込んでくる。
極端ながらリアリティある登場人物の言動がそれを可能にする。

キスや祝福の多さに、 
登場人物の多さ、名前の長さや愛称にうろたえないで、
どうか本作を読んでみてほしい。

「大審問官」では神の不在を、
「ゾシマの教え」では原罪や不死を
審判では、真実の在処をわれわれに問いかける。
著者の手にかかっては、ストーリーの傍流ですら大河をなす。

 

<イワン憤る>

母親が犬どもに我が子を食い殺させた迫害者と抱き合って、三人が涙とともに声を揃えて、『主よ、あなたは正しい』と讃えるとき、もちろん、認識の栄光が訪れて、すべてが解明されることだろう。しかし、(中略)

そんな調和は、小さな拳で自分の胸をたたきながら、臭い便所の中で償われぬ涙を流して《神さま》に祈った、あの痛めつけられた子供一人の涙にさえ値しないよ! なぜ値しないかといえば、あの子の涙が償われずじまいだったからさ。あの涙は当然償われなけりゃならない、それでなければ調和もありえないはずじゃないか。

 

 

<大審問官>

かよわい、永遠に汚れた、永遠に卑しい人間種族の目から見て、天上のパンを地上のパンと比較できるだろうか? かりに天上のパンのため、何千、何万の人間がお前のあとに従うとしても、天上のパンのために地上のパンを黙殺することのできない何百万、何百億という人間たちは、いったいどうなる?

 

それなのにお前は、すべての人間を文句なしにお前の前にひれ伏せるために提案された、地上のパンという唯一絶対の旗印をしりぞけてしまった。しかも、自由と天上のパンのためにしりぞけたのだ。

 

人間にとって良心の自由ほど魅力的なものはないけれど、同時にこれほど苦痛なものもない。ところが、人間の良心を永久に安らかにしてやるための確固たる基盤の代りに、お前は異常なもの、疑わしいもの、曖昧なものばかりを選び、人間の手に負えぬものばかりを与えたため、お前の行為はまるきり人間を愛していない行為のようになってしまったのだ。しかも、それをしたのがだれかと言えば、人間のために自分の生命を捧げに来た男なのだからな!

 

<ゾシマ>

人生はお前に数多くの不幸をもたらすけれど、お前はその不幸によって幸福になり。人生を祝福し、他の人びとにも祝福させるようになるのだ。これが何より大切なことだ、お前はそういう人間なのだ。

 

<ミーチャ>

生きていたい、生きていたい、よび招くその新しい光に向って、何らかの道をどこまでも歩きつづけて行きたい、それもなるべく早く、一刻も早く、今すぐに、たった今からだ! 

 

神がいないと、どうやって人間は善人になれるんだい? そこが問題だよ! 俺はいつもこのことばかり考えているのさ。だって、そうなったら、人間はだれを愛するようになるんだい? 誰に感謝し、だれに讃歌をうたえばいいんだい?

 

『僕が殺したんじゃありません!』僕は放埓ではありましたが、善を愛していました。一瞬一瞬、更生しようと切望しながら、野獣にひとしい生き方をしてきたのです」

 

 

<カーチャ>

それは、あのとき父を救うために若い放蕩者のもとにとんで行った、あの一途なカーチャと同じだった。先ほど全傍聴人を前に、誇り高い清純な姿で、ミーチャを待ち受けている運命をいくらかでも軽くするために、《ミーチャの高潔な行為》を物語り、わが身と処女の羞恥を犠牲にした、同じあのカーチャだった。

そして今もまったく同じように彼女は自分を犠牲にしたのだが、今度は別の男(イワン)のためにであり、ことによると、今この瞬間になって彼女はようやく、別なその男が自分にとってどれほど大切な存在であるかを、はじめて感じ、完全に理解したのかもしれなかった! 彼女はその人を案ずる恐怖にかられて、自分を犠牲にした。犯人は兄ではなく自分だという証言によって、その人が自己の一生を破滅させたことに突然思いあたるや、彼女はその人を救うために、その名誉と評判を救うために、自分を犠牲にしたのだった!

 

<アリョーシャ愛されすぎ問題>

  • 「俺はな、アリョーシャ、お前をつかまえて、この胸に抱きしめてやりたいよ、それも押しつぶすくらい、ぎゅっとな」
  • 「好きでした、すごく好きでした。好きだったから、あなたのことをいろいろ空想していたんです」
  • 「お前は俺の守護天使だよ。お前の決定だけがすべてを決するんだ」

 

このイリューシャの石のそばで、僕たちは第一にイリューシャを、第二にお互いにみんなのことを、決して忘れないと約束しようじゃありませんか。これからの人生で僕たちの身に何が起ろうと、たとえ今後二十年も会えなかろうと、僕たちはやはり、一人のかわいそうな少年を葬ったことをおぼえていましょう。

 

<格言>

  • 「人間なんて、すべて慣れさ。国家や政治の関係でも、何事でもね」
  • まともな男ならだれだって、たとえ相手がどんな女でも、尻に敷かれているべきなんだよ」

 

<カッコいい表現>

  • 「彼の魂全体が《他の世界に接触して》、ふるえていた」
  • トロイカが《空間をむさぼり食いながら》ひた走っており」

 

<追記>

人類普遍のテーマがいろいろ詰め込まれている。もはや詰め込みすぎ?

例)この世の不条理、幸せ、神の愛、神の存在・不死・奇跡への懐疑、父子の対立、アリョーシャや少年たちの成長、ゾシマの一代記、未来世界の予言、フョ―ドル殺害事件の推理、グルーシェニカ・カテリーナとの四角関係・心理戦、アリョーシャとリーズの恋愛、赤貧洗うがごときスネギリョフ、手に汗握る法廷バトル。

 

 

病的に多弁なキャラが好き勝手に動き周り、怒涛の勢いで破滅に向けてひた走る。支離滅裂一歩手前。熱情と気違いは紙一重。

その臨場感。過多な感情。加速する感情。感情の極限。感情の奔流。

第二部はアリョーシャが暴れ回る予定だったのだろうか。

 

<訳:亀山郁夫ver.>[2014/10/24]
光文社古典新約文庫。 
カタカナ語やナウ目の訳など、訳者曰く「『流れ、勢い』を重視」している。
が、その分荘重さや正確さを犠牲にしているようだ。
各巻末30頁×4+最終巻180頁と、解説しすぎなのもやや興を削ぐ。