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【評】
まことに小さな国が、衰退期をむかえようとしている。
司馬好きオリザが「坂の上の雲」「この国のかたち」などをパロりながら、
日本・日本人のいま、そしてあるべき未来を提示する。
芸術・文化振興エージェントとして日本各地をまわった彼の言葉には、
さて、私たちはおそらく、いま、先を急ぐのではなく、ここに踏みとどまって、三つの種類の寂しさを、がっきと受け止め、受け入れなければならないのだと私は思っています。
一つは、日本は、もはや工業立国ではないということ。
もう一つは、もはや、この国は、成長はせず、長い後退戦を戦っていかなければならないのだということ。
そして最後の一つは、日本という国は、もはやアジア唯一の先進国ではないということ。
(中略)
しかしきっと、何より難しいのは、三つ目の寂しさに耐えることです。
「子育て中のお母さんが、昼間に、子供を保育所に預けて芝居や映画を観に行っても、後ろ指をさされない社会を作ること」
「対話の空間としての新しい広場を作る」などの文化的側面の話を序章でちらつかせながら、
小豆島、城崎、四国学院大学を例にとり、教育、育児、文化、政策、町の付加価値など、地方の取り組みを眺めたあと、以下のように言う。
地方こそ、教育政策と文化政策を連動させて、文化資本が蓄積されるような新しい教育プログラムの開発に取り組まなくてはならない。このことに気がついた自治体と、そうでない自治体で、今後、さらに大きな地域間格差が広がることが予想される。
自分たちの誇りに思う文化や自然は何か。そして、そこにどんな付加価値をつければ、よそからも人が来てくれるかを自分たちで判断できる能力がなければ、地方はあっけなく中央資本に収奪されていく。
付加価値を生み出すだけの人材が、決定的に不足している。
街作り、はじめよっ。
実際に、もがき苦しみながらも改革に取り組み、希望が見え始めている自治体はいずれも、現実を見据え、短期的、場あたり的な対策ではなく、確かな理念をもった長期的な取り組みを行っている所ばかりだ。それは、一見奇策に見えながら、「ここでいいのだ」という自己肯定感を伴った、実は堅実な街作りである。
総力戦で、人口減少をできる限り食い止め、その間に持続可能な社会の実現を目指す。
具体的には、まず外貨の稼げる基幹産業に注力する。そこで稼いだお金は、それが地域のなかで回っていくように大事に使う。農産品だけではなく、ソフトの地産地消を心がける。
従来からお金がかかってきた部分は、低成長を前提に体質改善を目指す。循環型エネルギーの導入。医療や介護は、無理のない範囲で相互扶助を増やす。教育も同様に地域の資源を生かす。ただし、この部分は未来への投資でもあるので、出し惜しみをしてはいけない。
気がつけば夕暮れが。
しかし、そろそろと下る坂道から見た夕焼け雲も、他の味わいがきっとある。夕暮の寂しさに歯を食いしばりながら、「明日は晴れか」と小さく呟き、今日も、この坂を下りていこう。
そろそろ、そろそろと行動しようぜ、みんな!