Javaさんのお部屋(サム・ジーヴァ帝国図書館)

Javaさんのお部屋です。引っ越しました。詳しくは「はじめに」を読んでね。スマホ版は全体像が見えにくいから、PC版と切り替えながら見てね。

戦争は女の顔をしていない

戦争は女の顔をしていない (岩波現代文庫)

【概要】
著者(監督):スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ 訳:三浦みどり

戦後生まれの著者が、忘れられていた「女たちのものがたり」の回収に赴く。「大きな内容を秘めたちっぽけな人たち」のオーラルヒストリを蒐集し「その人にしか書けないテキスト」としてまとめたのが本書だ。当時のありのままの想いをインタビューで引き出すのはなかなか人間性が要求されそうだ。何気にタイトルが五七五になっている。

女性が戦闘員として前線に立ったという点が独ソ戦の特異性の一つ。従軍して数千万の死を目の当たりにし、肉体的にも精神的にも摩耗し破壊されていくのが悲しい。凄惨な話が盛りだくさんでしんどい。戦友のほほえみを写真に収めたり、死に行く戦友に手紙を読み上げたりと泣かせるシーンもある。が、指揮官の取り違えとか、おしゃれとか、男社会や軍隊の滑稽さを嗤ったりと、たまに笑いもある。人生しんどいだけじゃ生きていけないから良くも悪くも順応していくんだろうなあ。人間のたくましさとも言おうか。

知り合いでもない人の家に、時とすれば一日中座り込むこともあった。お茶を飲んだり、最近買ったばかりのブラウスを勧められるままに着て見せたり、髪型や料理のレシピの話をしたり、お孫さんたちの写真を一緒に眺めたり。それで初めて……どれだけ時間がかかるか分からないのだが、突然、ふっと、待ちかねていた瞬間が訪れる。 判で押したような、わが国の鉄筋コンクリートでできた記念碑のような常識を離れて、自分に帰っていくときが。自分の奥に入っていく。戦争をではなく、自分の青春を思い起こす。自分にしかない人生の一部を。その瞬間をとらえなければならない。いろいろなおしゃべりや事実を羅列した長い一日をすごしたあげくに残るのは、たった一つの文章だったりする(でもそれがすごい!)。

 

【詳細】

<目次>

  • 思い出したくない
  • お嬢ちゃんたち、まだねんねじゃないか
  • 恐怖の臭いと鞄いっぱいのチョコレート菓子
  • しきたりと生活
  • 母のところに戻ったのはわたし一人だけ……
  • わが家には二つの戦争が同居してるの
  • 受話器は弾丸を発しない
  • 私たちの褒美は小さなメダルだった
  • お人形とライフル
  • 死について、そして死を前にしたときの驚きについて
  • 馬や小鳥たちの思い出
  • あれは私じゃないわ
  • あの目を今でも憶えています……
  • 私たちは銃を撃ってたんじゃない
  • 特別な石けん「K」と営倉について
  • 焼き付いた軸受けメタルとロシア式の汚い言葉のこと
  • 兵隊であることが求められたけれど、かわいい女の子でもいたかった
  • 甲高い乙女の「ソプラノ」と水兵の迷信
  • 工兵小隊長ってものは二ヶ月しか生きていられないんですよ、お嬢さん方!
  • いまいましい女と五月のバラの花
  • 空を前にした時の不思議な静けさと失われた指輪のこと
  • 人間の孤独と弾丸
  • 家畜のエサにしかならないこまっかいクズジャガイモまでだしてくれた
  • お母ちゃんお父ちゃんのこと
  • ちっぽけな人生と大きな理念について
  • 子供の入浴とお父さんのようなお母さんについて
  • 赤ずきんちゃんのこと、戦地で猫が見つかる喜びのこと
  • ひそひそ声と叫び声
  • その人は心臓のあたりに手をあてて……
  • 間違いだらけの作文とコメディー映画のこと
  • ふと、生きていたいと猛烈に思った

 

<メモ>

戦争の本って嫌い……。 英雄たちが出てくる本……。私たちはみな病人だった。咳をしていて、寝不足で、汚れきっていて、みすぼらしい身なり。たいていは飢えていて….....。 それでも勝利者なの!

戦争の実態は隠匿される(; ・`д・´)

 

「白衣のボタンをはずして、乳房を見せてくれ……女房と離れてもうずいぶんになる……」 わたしは恥ずかしくなって、何か答えて、テントを出ました。一時間後に戻ると、彼はもう亡くなっていて、あのときの微笑みを浮かべたままで……

 

あたしは将校たちに親しんでしまっていたわ、そりゃ、敵だけど、毎日会うし、『ダンケシェーン、ダンケシェーン』って言われて。 これはむずかしいことよ。殺すのは難しいの。

 

私の中で何かが抵抗している。どうしても決心できない。私は気を取り直して引き金を引いた。彼は両腕を振り上げて、倒れた。死んだかどうか分からない。そのあとは震えがずっと激しくなった。恐怖心にとらわれた。私は人間を殺したんだ。この意識に慣れなければならなかった。 そう……一言で言えば……たまらないって感じ。忘れられない……

 

戦争中は「何もかも憶えていよう、忘れない」と思っていたけど記憶は薄れていく。でもこれだけはこまかいことまで憶えている。 とてもハンサムな青年。それが殺されて転がっていた。 戦死した人は敬意をもって葬られるのだと思っていたのに、青年はハシバミの木のほうに引きずられていって、棺にも入れられず穴を掘って直接土をかけられたんです。太陽が明るく照らしていて、その青年にも陽の光が降り注いでいた。暖かな夏の日のこと…… 防水のテント地もなくて、着ていた軍服とズボンのまま横たえられた。
服だってまだ真新しく、最近着任したばかりだったんでしょう。そうやって地中に直接埋められた。 穴はその人を入れるだけのとても浅い穴。傷は小さかったけど致命傷だったんです、こめかみを撃たれていたから。でも血は少なく、まるで生きている人が横たわっているようだった。ただひどく青白かった。

 

でも、戦地に行ったら……あたしは祈るようになった……戦闘が始まるときはいつも祈ったわ。 自己流のお祈り。簡単な言葉で……自分で作った言葉… ….….その意味はただひとつ、 あたしがおかあさんとおとうさんのところに戻ることができますように、というだけなの。本物のお祈りなんか知らなかったし。聖書も読んだことがない。私がお祈りしているところなんか誰も見たことないわ。こっそりやってたから。短く。用心していたし。

ソビエトには神はいない(; ・`д・´)

 

私は戦火をくぐって四百八十一人の負傷者を救い出した。 記者の誰かが数えたんだけど、砲兵大隊に相当するそうよ。背負って運んだの。自分の三、四倍の体重を。負傷者はよけい重たいの。 持っている武器も運ばなければならないし。それに軍人外套や軍靴。八十キロぐらいを背負って運ぶ。 運んできて下ろしてやると、また次を。七十キロか八十キロの重さを。 一回の攻撃で五回か六回。 私自身は四十八キロしかないのに。バレリーナの軽さ。今はもう信じられない……自分でも信じられない……

⇒ハクソ―・リッジ。

 

戦争で一番恐ろしかったのは、男物のパンツをはいていることだよ。 これはいやだった。これがあたしには……うまく言えないけど……第一とてもみっともない……。 祖国のために死んでもいい覚悟で戦地にいて、はいているのは男物のパンツなんだよ。こっけいなかっこしてるなんて、ばかげてるよ。間がぬけてて。そのころ男物のパンツって長いのだったんだ。がばがばで、つるつるした生地で縫ってあって。あたしたちの土壕には十人の女の子がいて、みな男物のパンツをはいてた。まったく、どうしようもない! 夏も冬も。 四年間だよ。

 

白兵戦が始まるとすぐこの音です。 骨が折れる、人間の骨がボキボキ折れるんです。獣のようなわめき声! 突撃のときは他の兵士たちにつづきます、ほとんど肩を並べて。 何もかも目の前で起こるんです。 男たちは相手を刺し殺そうと銃剣を突きたて、とどめを刺すんです。 銃剣で口や目を突く……心臓や腹を……それに……何と言ったらいいの? 私はうまく言い表せない……とにかく、一言で言ってこんな男たちを見たことはありませんでした。家ではそんなのを見たことがありません。女たちも子供たちも。 とにかく恐ろしいことになるんです……

 

男たちは勝利を分かち合ってくれなかった。悔しかった。理解できなかった。前線では男たちの態度はみごとだった。いつでもかばって大事にしてくれた。戦争が終わっても女性に対する態度は変わらないんだと思っていたわ。退却していた時、地べたに直接横になることがないように私たちに外套を敷いてくれて、自分たちは軍服だけで横たわった。「女の子は大事にしないとな」 包帯や綿を見つけると持って来てくれた。「ほら、女の子には役に立つだろう」と言って。 乏しい乾パンだって分け合ってくれたし。優しさ、暖かい心遣い以外眼にしたことがなかったのに。それが戦後はどう? やめとくわ······黙っておく……なぜ思い出すまいとするか? 耐え難い思い出だからだよ......

戦後は彼女らの貢献も忘れられ、むしろ蔑視され…理不尽。

 

仲間の看護婦が捕虜になってしまったんです…....翌日、私たちがその村を解放した時、至るところ馬の死骸やオートバイが倒れていて、装甲車が乗り捨てられていました。仲間は見つかりましたが、目はくりぬかれ、胸が切り取られていました……杭に突き刺してありました… 零下の厳しい寒さで、顔は真っ青、髪は真っ白。十九歳だったのに。
背嚢の中には家からの手紙と緑色のおもちゃの鳥が入っていました……

 

その人たちがどんな目に合わされたかと思うと、ドイツ軍の負傷兵なんかに近づくもんかと思うけど……でも次の日にはやはり手当するんです….…….

人間心理の不可思議。

 

次から次へと思い出せます。止めどなく……何が一番重要なことか、 ですか? 私が覚えているのは戦争の音です。そこら中で渦巻く轟音、ガシャガシャいう金属音、炎の中で壊れていく音……戦争で人間は心が老いていきます。 戦後、私はもう決して若い娘に戻れませんでした。これが一番、大きなことね。私の考えでは……

 

結婚はしました。そして五人の息子を産んで育て上げた。私が一番驚いたのはあんなにすさまじい経験をした後でかわいらしい子供たちを産むことができたこと。良いおかあさんに、そして良いおばあさんになれたことです。
今、すべてを思い返して、あれは自分じゃなかった、だれか他の女の子だったんだという気がします。

 

私は馬が好きになりすぎて、今でも馬を見ると素通りできません。 馬を抱きしめてやります。私たちは馬の脚の間で寝ました。馬は脚をそっと動かしますが、人間を引っかけたりしません。馬は死体だって決して踏みつけたりしません。生きている人で負傷しているなら、決して捨てて行きません。馬はとても利口な動物です。騎兵隊にとって親友です。 忠実な友だちです。

 

私は殺された時にみっともなく倒れているなんてどうしてもいやだった。 殺された女の子をたくさん見ていたわ。 どろんこまみれや水の中の。そういう死に方をしたくなかったの。機銃掃射を受けたときも、殺されたくないと思うより、とにかく顔を隠したたものよ。手とか。女の子はみなそうだったと思うわ。男たちは私たちのことを笑ってた。男たちにとってはおかしかったのね。 死のことでなく、まったくくだらないことを気にしている。女の子独特のつまらないことを、って。

 

恋です! 恋なんです……私たちみんなどんなに恋にこがれていたか! 幸せだった!

 

でも、私たちはそのうえかわいい子でもいたかった...…戦争中ずっと脚を傷つけられたらどうしようということばかり心配していました。私は脚がきれいだったの。男の人ならどうってことないんでしょ? 脚がなくなったって、それほど恐ろしくはありません。それでも、英雄だし、立派にお婿さんになれます。でも、女性が不具になったら、もう将来は決まってしまうんです。 女性としては終わりです。

「わたしが一番きれいだったとき」に似てない?

javalousty.hatenablog.com

 

男の人たちは….…全然違う……あたしたちのこと分かってくれるとは限らなかった……あたしたちはプチーツィン連隊長が大好きだったの。「おやじさん」って呼んでたわ。他の人と全然違う。 女心を分かってくれたのよ。モスクワ近くまで退却したとき、一番辛い時期だったのに「モスクワももう近い、美容師を連れてくるから眉を描いたり、マスカラをつけたり、髪を巻いたりしなさい。そういうことはいけないんだが、みんなにきれいにしていてほしいから。戦争はそうすぐには終わらないからな」そう言って美容師を連れてきたの。髪をセットして、化粧もした。嬉しかった……

プーチンはえらい違いや( ˘ω˘ )

 

身体そのものが戦争に順応してしまって、戦中、女のあれが全く止まってしまいました。 分かりますでしょう? 戦後子供を産めなくなった女の人がたくさんいました。

 

戦時中どんなに美しい朝があったかご存知? 戦闘が始まる前……これが見納めかもしれないと思った朝。大地がそれは美しいの、空気も……太陽も……

 

戦争は私の一番いい時期だったの、だってあの時は恋をして、幸せだったんですもの。
でも、名字は書かないでね、娘のために。

 

あたしたちのことは書かなくてもいいよ……覚えていてくれたらそのほうがいいよ……こうやってあんたと話をしたってこと。いっしょに涙を流したってこと。あたしたちと別れていく時にゃ、振り返ってあたしたちを、あたしたちの小屋を見ておくれ。他人行儀に一度だけじゃなくて、身内がやるように二回だよ。それだけで、他には何もいらないよ、ただ振り返ってくれりゃあ……

 

「マニキュア」というのを身をもって知ったんです。 手をテーブルの上に載せられて、専用の機械か何かの装置を使って、爪の下に針を打ち込む。 指の一本一本同時に。これは地獄のような痛さ。すぐに気を失ってしまう。すさまじい痛さということは知っていてもそのあとのことは覚えていない。 

 

そういう奴らの土地に来たんです。 まず驚いたのは道路が立派なこと。大きな農家、花を植えた植木鉢、きれいなカーテンが納屋の窓にまで引いてあります。 家の中には白いテーブル掛けのかかったテーブル。 高価な食器。磁器です。そこで初めて電気洗濯機というものを見ました。どうしてこんなに良い生活をしている彼らが戦争なんかしなければならなかったのか、私たちには理解できませんでした。

 

ドイツで国会議事堂に落書きをしました.....手元にあった木炭で、「サラトフ出身のロシア人の女の子があなた方に勝った」と。みな、何かしら、壁に書き残しました。 告白や悪口を……

 

戦場で死ぬ時には空を見たがった。死んで行きながら、「看護婦さん、眼を閉じてくれよ、きちんとな」と頼む人もいたよ。

 

javalousty.hatenablog.com