Javaさんのお部屋(サム・ジーヴァ帝国図書館)

Javaさんのお部屋です。引っ越しました。詳しくは「はじめに」を読んでね。スマホ版は全体像が見えにくいから、PC版と切り替えながら見てね。

戦国日本と大航海時代

戦国日本と大航海時代 - 秀吉・家康・政宗の外交戦略 (中公新書)

【概要】
著者(監督):平川新

戦国日本と大航海時代が交わった世界のダイナミクス。極東の島国は1600年前後の時点で、西欧列強に匹敵する軍事大国だった。その軍事力と組織力が「帝国」や「皇帝」という言葉で表現されるくらいに。文献を読み解いていく中で「秀吉はなぜ朝鮮出兵を行ったのか?」と「日本はなぜ列強の植民地にならなかったのか?」が接続される。曰く、「日本の皇帝は、力において欠けるところはない」。

旧教国(ポルトガル・スペイン)間での植民地争奪・布教争い、それらと新教国(英国、オランダ)間での争いなど、プレイヤー入り混じる混沌の時代を生き抜いた信長・秀吉・家康そして政宗の存在感の大きさが感じられる。布教・貿易権争奪戦に代表される日欧の駆け引きが見どころ。天正・慶長遣欧使節も忘れんなよ。


【詳細】
<目次>

  • 序章 戦国日本から「帝国」日本へ
  • 第1章 大航海時代と世界の植民地化
  • 第2章 信長とイエズス会
  • 第3章 秀吉のアジア征服構想はなぜ生まれたか
  • 第4章 家康外交の変遷
  • 第5章 伊達政宗と慶長遣欧使節
  • 第6章 政宗謀反の噂と家康の情報戦
  • 第7章 戦国大名型外交から徳川幕府の一元外交へ
  • 終章 なぜ日本は植民地にならなかったのか

 

<メモ>

朝鮮出兵によって日本は、朝鮮および明国の軍隊と干戈を交え、それと前後して、世界最強といわれたスペイン勢力にも服属を要求するなど、強硬外交を展開した。朝鮮出兵という、日本による巨大な軍事行動は、スペイン勢力に重大な恐怖心を与えたのである。のちに詳しく論証するが、フィリピン総督はマニラに戒厳令を布いて、恐怖に怯えたほどだった。アジアでもヨーロッパでも日本は一挙にその知名度をあげ、アジアの軍事大国として世界史に登場することになった。

 

本書では鎖国という言葉を閉鎖的な外交関係としてではなく、徳川幕府が強力な軍事力を背景に確立させた貿易と出入国の管理体制のこととして用いる。この鎖国への道程も、慶長遣欧使節への歴史的評価を入れることで、より明瞭になるだろう。戦国時代から江戸時代への過渡期の外交を論じるときに、政宗の外交を抜きにすることはできないのである。

 

なぜ伊達政宗を、天下人である豊臣秀吉徳川家康と並べて取り上げるのか。それは秀吉・家康と同時代に生き、朝鮮にも出陣し、家康と伍しながら独自外交を展開した希有な存在だったからである。政宗が派遣した慶長遣欧使節は教科書にも載るほど有名だが、従来の徳川外交史研究のなかでは意外なほどに評価されていない。貿易交渉に失敗したことが影響しているのだと思われるが、じつは多元的な戦国大名型外交から徳川幕府よる一元的外交への転換を象徴する事件であった。


ポルトガル・スペイン領土分割のフロンティアであった、東アジア・東南アジア。そこで跳梁跋扈する諸勢力。硬軟織り交ぜた駆け引き。地政学は決して近代以降の概念ではないことを実感。