Javaさんのお部屋(サム・ジーヴァ帝国図書館)

Javaさんのお部屋です。引っ越しました。詳しくは「はじめに」を読んでね。スマホ版は全体像が見えにくいから、PC版と切り替えながら見てね。

これで古典がよくわかる

これで古典がよくわかる (ちくま文庫)

【概要】
著者(監督):橋本治

「古典」に関し、肩ひじ張らない訳文と解釈を提供する。

「つれづれなるままに~」の「わけわかんないうちにアブナクなってくんのなッ!」という訳に瞠目させられた。実朝とウラベ・カネヨシくんがよくいじられる。

書き言葉と話し言葉の乖離が進んでいる昨今(※当時。今はむしろテキストコミュニケーションが盛んなのでそうでもないかも)。著者曰く、「硬直化した書き言葉の中に、生きている話し言葉をぶちこむ」ことで日本語は再生する。

古典を今の時代によみがえらせる方法は、「「古典なんだから」と思って、遠慮なんか」せず、「「ちゃんとわかろうとすればわかる」と思って、真っ正面からぶつかることです」。


【詳細】
<メモ>

「漢字とひらがながドッキングした」ということは、「その教養ある大人の男がついにマンガを読んでしまった」ということです。そうでしょう? 鴨長明の『方丈記』から兼好法師の『徒然草』までの百年は、どうやら「大の男がマンガを読むのを当然とするのに要する時間」だったのです。

 

源実朝は、もうほとんど、「ススんだ都会に憧れる中小企業の社長の息子」のようなもんです。

 

「破れて、砕けて、裂けて、散る」なんて歌うのは、かなりのもんじゃないでしょうか どっかで、「死ね! 死ね! 死ね! 死ね!」という声が聞こえるような気がしませんか?

 

ともかくもこの書き手(兼好)は、「アブナイ方向に行っちゃってる」のを理解してるんですね。だから私は、この序段の《あやしうこそものぐるほしけれ》を、『絵本徒然草』という本の中で、「わけわかんないうちにアブナクなってくんのなッ!」と訳しましたけどね。

 

古典を読むときに一番必要なことは、「自分も人間、古典を書いたのも人間──だからこそどっかに"接点"はある」と思うことでしょうね。

 

「古典をわかるようになる」のに一番必要なのは、「慣れる」ということです。「慣れる」のに一番手っ取り早い方法は、「暗記する」です。

 

「漢字+カタカナの文章」は、「書き言葉の先祖」なんです。そして、「ひらがなだけの文章」は、「話し言葉の先祖」なんです。

漢文という、「外国語」でしかない書き言葉を「日本語」に変えたのは、「話し言葉」なんです。つまり、日本人は、「おしゃべり」を取り込んで自分たちの文章を作ってきたということです。

壁にぶつかった「書き言葉の文章」をもう一度再生する方法は、一つしかないんです。「硬直化した書き言葉の中に、生きている話し言葉をぶちこむ」です。

 

古典を今の時代によみがえらせる方法は、たった一つです。「古典なんだから」と思って、遠慮なんかしちゃいけないんです。「ちゃんとわかろうとすればわかる」と思って、真っ正面からぶつかることです。