【概要】
編集:川村 裕子
『和泉式部日記』角川ソフィア版。宮とのお手紙や歌のやりとりに繊細な感性を、三人称小説風に日記を書いているあたりに知性を感じる。どうしても想い出を千載の後に残しておきたかったんやろなあ。ただ、カー○ックスはいただけない。
【詳細】
<メモ>
- いずみん:なぐさめずは、つゆ
- い:いとなまめかし
- 敦道親王(宮):あぢきなく雲居の月にさそはれて影こそ出づれ心やはゆく
- 宮:人はいさわれは忘れずほどふれど秋の夕暮ありしあふこと
- い:山を出でて冥き途にぞたどりこし今ひとたびのあふことにより
- 宮:あはれ、この月は見るらんかし
- い:
妻戸をおしあけたれば、大空に、西へかたぶきたる月の影、遠くすみわたりて見ゆるに、霧りたる空の気色、鐘の声、鳥の音一つに響きあひて、更に、過ぎにし方、今行く末のことども、かかる折はあらじ、と袖のしづくさへあはれにめづらかなり。
- 宮:われならぬ人も有明の空をのみ同じ心にながめけるかな
- 宮:ここに、かくてあるよ
- い:ただ月影に涙の落つる
- 宮:ただおはせかし
- い:「参りなん」と思ひ立つ
編者の実況が面白い。
⇒「速攻だったので後朝の歌「合格」」「ここはとんでもなく衝撃的な場面」
宮を失った大きな悲しみにうちのめされながら、和泉はそれを越えて、本当に『和泉式部日記』という「昔語り」を一人で書き続けたのです。
一生懸命宮が世間から自分を守ってくれたように、今度は自分が宮を守る番。だから彼女は、空の向こうに旅立ってしまった宮の名誉のために、この「昔語り」を続けたのでした。二度と自分をみつめてはくれない温かい宮のまなざし、もう決して耳に響くことのない宮の優しい声をすぐそばに感じながら……。
これが古典文学の醍醐味や(; ・`д・´)