著者(監督):斉藤環
【概要】
「キャラ」にまつわる悲劇、「コミュ力」の顕在化など、「承認」をめぐる現代人の心の問題を精神医学的に分析する。若者は「キャラ」からの逸脱を恐れるあまり「変化」を信じられない、ととの論考には思うところがあった。エヴァの精神医学的な解説やDV対処法(耳は貸すが手は貸さない)の話も面白い。
【詳細】
<キャラ・コミュ力顕在化問題>
キャラはコミュニケーションをスムーズにする反面、自分のキャラを逸脱する行動を常に抑圧するという副作用を併せもつ。つまり、忠実にキャラを演じ続けることで、人格的な成長や成熟が抑え込まれてしまう可能性もあるのだ。
現代の「承認」については、そうした客観的規準の価値ははるかに後退し、いわば“間主観的”な「コミュ力」に一元化されつつある。「キャラ」はそうした「承認のしるし」となる。
<承認をめぐる病理の3パターン(エヴァ登場)>
「承認への葛藤(シンジ)」「承認への行動化(アスカ)」「承認への無関心(レイ)」
こうした「承認の病」を回避する方法はすでにいくつかある。①他者からの承認とは別に、自分を承認するための基準をもつこと。②“他者から”の承認以上に、“他者への”承認を優先すること。そして最後に、③「承認の大切さ」を受け入れつつも、ほどほどにつきあうこと。
<「変化」と「キャラ」>
現代の若者には、このような感覚(劣等感や自己嫌悪を抱えることはあっても、いずれ成長するとともに解決するだろう)が乏しいようだ。「今の自分」に備わっている能力も性格も、これからずっと変わりようがないし、今できないことは将来にも絶対にできないという、かたくななまでの思い込み。
彼らは絶望しているのではない。ただ「変化」というものが信じられないのである。
成長や成熟を含むあらゆる「変化」は、「キャラ」を破壊し仲間との関係にも支障をきたしかねないため忌避されるようになる。