著者(監督):芥川龍之介
【概要】
「人生は落丁の多い書物に似ている。一部を成すとは称し難い。しかし兎に角一部を成している」など、皮肉な寸言で世界や人間心理の要諦を切り出さんとする。博識かつ鋭敏ではあるが、表層を掬っただけでその深奥には達していないような…。近代知的人の行き詰まりと著者の心の寂寥を感じる。やっぱり長く生きないと言葉に味わいが出ないのだろうか。
【詳細】
「侏儒の言葉」は必しもわたしの思想の変化を伝えるものではない。唯わたしの思想の変化を時々窺わせるのに過ぎぬものである。一本の草よりも一すじの蔓草、――しかもその蔓草は幾すじも蔓を伸ばしているかも知れない。
<鼻>
- 天下に我我の恋人位、無数の長所を具えた女性は一人もいないのに相違ない。
- 我我の自己欺瞞は世界の歴史を左右すべき、最も永久な力かも知れない。
<修身>
強者は道徳を蹂躙するであろう。弱者は又道徳に愛撫されるであろう。道徳の迫害を受けるものは常に強弱の中間者である。
<自由意志と宿命と>
私は恬然と答えたい。半ばは自由意志を信じ、半ばは宿命を信ずべきである。
<武器>
日本は二千年来、常に「正義の味方」である。正義はまだ日本の利害と一度も矛盾はしなかったらしい。
<人生>
<S・Mの智慧>
- 少女。――どこまで行っても清冽な浅瀬。
- 追憶。――地平線の遠い風景画。ちゃんと仕上げもかかっている。
- 年少時代。――年少時代の憂鬱は全宇宙に対する驕慢である。
- 我等如何に生くべき乎。――未知の世界を少しだけ残して置くこと。
<瑣事>
人生を幸福にする為には、日常の瑣事を愛さなければならぬ。雲の光り、竹の戦ぎ、群雀の声、行人の顔、――あらゆる日常の瑣事の中に無限の甘露味を感じなければならぬ。
<親子>
古来如何に大勢の親はこう言う言葉を繰り返したであろう。――「わたしは畢竟失敗者だった。しかしこの子だけは成功させねばならぬ。」
<企図>
成すことは必しも困難ではない。が、欲することは常に困難である。少くとも成すに足ることを欲するのは。
<日本人>
我我日本人の二千年来君に忠に親に孝だったと思うのは猿田彦命もコスメ・ティックをつけていたと思うのと同じことである。
<徴候>
恋愛の徴候の一つは彼女は過去に何人の男を愛したか、或はどう言う男を愛したかを考え、その架空の何人かに漠然とした嫉妬を感ずることである。
又恋愛の徴候の一つは彼女に似た顔を発見することに極度に鋭敏になることである。
<文章>
文章の中にある言葉は辞書の中にある時よりも美しさを加えていなければならぬ。
<作家>
文を作らんとするものの彼自身を恥ずるのは罪悪である。彼自身を恥ずる心の上には如何なる独創の芽も生えたことはない。
<理性>
理性のわたしに教えたものは畢竟理性の無力だった。
<運命>
運命は偶然よりも必然である。「運命は性格の中にある」と云う言葉は決して等閑に生まれたものではない。
<宿命>
宿命は後悔の子かも知れない。――或は後悔は宿命の子かも知れない。
<阿呆>
阿呆はいつも彼以外の人を悉く阿呆と考えている。
<恋愛>
恋愛は唯性慾の詩的表現を受けたものである。少くとも詩的表現を受けない性慾は恋愛と呼ぶに価いしない。
<わたし>
わたしは度たび他人のことを「死ねば善い」と思ったものである。しかもその又他人の中には肉親さえ交っていなかったことはない。
<或夜の感想>
眠りは死よりも愉快である。少くとも愉快には違いあるまい。(昭和改元の第二日)
大正を彩った文壇の旗手が、古今東西の古典からSF小説まで縦横に知識を披歴する。
巻末解説に芥川の思想変遷がまとまっており好い。