Javaさんのお部屋(サム・ジーヴァ帝国図書館)

Javaさんのお部屋です。引っ越しました。詳しくは「はじめに」を読んでね。スマホ版は全体像が見えにくいから、PC版と切り替えながら見てね。

逝きし世の面影

著者:渡辺京二

【評】

日本近代が経験したドラマをどのように叙述するにせよ、それが一つの文明の扼殺と葬送の上にしか始まらなかったドラマだということは銘記されるべきである。扼殺と葬送が必然であり、進歩でさえあったことを、万人とともに認めてもいい。だが、いったい何が滅びたのか、いや滅ぼされたのかということを不問に付しておいては、ドラマの意味はもとより、その実質さえも問うことができない。

 

彼らは自分たちの文明の決定的な優位性については揺るがぬ確信を抱いていたが、西欧文明とまったく基準を異にする極東の島国の文明に接したとき、自身とは別に一種のショックを受けずにはおれなかった。このような“小さい、かわいらしい、夢のような”文明がありうるというのは、彼らにとって啓示ですらあった。なぜなら、当時彼らが到達していた近代産業文明は、まさにそのような特質とは正反対の重装備の錯綜した文明であったからである。


オールコック
「日本人はいろいろな欠点をもっているとはいえ、幸福で気さくな、不満のない国民であるように思われる」

オリファント
「個人が共同体のために犠牲になる日本で、各人がまったく幸福で満足しているようにみえることは、驚くべき事実である」

ジョージ・スミス
「日本人は毎日の生活が時の流れにのってなめらかに流れていくように何とか工夫しているし、現在の官能的な楽しみと煩いのない気楽さの潮に押し流されてゆくことに満足している」

ブラック
「そこには、ただ喜びと陽気があるばかり。笑いはいつも人を魅惑するが、こんな場合の日本人の笑いは、ほかのどこで聞かれる笑い声よりも、いいものだ。彼らは非常に情愛深く親切な性質で、そういった善良な人達は、自分ら同様、他人が遊びを楽しむのを見てもうれしがる」

チェンバレン
「この国の魅力は下層階級の市井の生活にある。・・・・・・日常生活の隅々までありふれた品物を美しく飾る技術」

断るまでもないじことと思うが、私はこういう彼らの記述を引用することで、自分のちっぽけな「愛国心」を満足させたいわけではない。

 

重要なのは、当時の日本がある異形のもの、「楽園」と呼ぶのが妥当であるかどうかは別として、そんなふうにでも呼ばずにはいられない文化的なショックとして、欧米人の眼に現象したという事実のほうなのだ。なぜなら、そのような異質感をもたらした彼我の落差のうちに、彼ら欧米人がすでに突入し、われわれ日本人がやがて参入せねばならなかった近代、つまり工業化社会の人類史に対してはらむ独特な意味が、ゆくりなくも露出し浮上してくるからである。


西洋人の傲慢と羨望という鏡に映しだされた近世日本。
本書は、600ページにわたるぺルリ提督、モース、バード、チェンバレンら西洋人たちのアンソロジー。そこから生まれるノスタルジー
好悪、論考の深浅、着眼点など人によって全然違うが、のんきでゆかいな、ゆったりとした時間が流れていたことは確かなようだ。 
 
裸体と性への解放感、髪結われた自然、陽気で気さくな人々、薄く瀰漫した宗教、動物との関わり、ニッチな分業、その他ほっこり挿話(望遠鏡とりだし、車夫の登攀、きょうだいを背負った子ども、お花畑に飛び込む車夫、独楽回したちとの交歓)。
現代日本とどこが連続していてどこが非連続なのか、思索は尽きない。

私はただ、それが明るいか暗いかは別として、異邦人の眼に映ったものを述べよう。(中略)
私は、幕末、日本の地に存在した文明が 、たとえその一側面にすぎぬとしても、このような幸福と安息の相貌を示すものであったことを忘れたくない。なぜなら、それはもはや滅び去った文明なのだから。