評価:B
【評】
人形浄瑠璃、能面、埴輪から感じ取った日本の風土。
不完全や不足が、却って完全や理想への想像力の階梯を準備する。
てっちゃん、日常のなにげない思いを論考めいた文章にするのが好きらしい。
漱石や寅彦その他文人の人物評も、透徹した観察眼を感じさせる。
「文学座の人形芝居」
人形使いは人間の動作を選択し簡単化することによって逆に芸術的な人間の動作を創造したのである。そうしてかく想像せられた動作は、それが芸術的であり従って現実よりも美しいというまさにその理由によって、人間に模倣行動を起こさせる。
「面とペルソナ」
この顔面において、不必要なものがすべて抜き去られていること、ただ強調せられるべきもののみが生かし残されていることが、はっきり見えて来る。またそのゆえにこの顔面は実際に生きている人の顔面よりも幾倍か強く生きてくるのである。
しかるにその面は再び肢体を獲得する。人を表現するためにはただ顔面だけに切り詰めることができるが、その切り詰められた顔面は自由に肢体を回復する力を持っている。そうしてみると、顔面は人の存在にとって核心的な意義を持つものである。それは単に肉体の一部分であるのではなく、肉体を己に従える主体的なるものの座、すなわち人格の座にほかならない。
「人物埴輪の眼」
二つの穴は、魂の座としての眼の役目を十分に果たしているのである。
人形の製作者は人体を写実的に作ろうとしたのではない。ただ意味ある形を作ろうとしただけである。しかし意味ある形のうちの最も重要なものが人の顔面であったがゆえに、ああいう埴輪の人形ができあがったのである。
「夏目先生の追憶」
私はいかに峻厳な先生の表情に接する時にも、先生の温情を感じないではいられなかった。
他には、
「城」「土下座」「埋もれた日本」
「漱石の人物」「巨椋池の蓮」など。