著者:Marcus Aurelius 訳:神谷美恵子
評価:A*
世界史Bでおなじみの古代ローマ皇帝、マルクス・アウレリウス・アントニヌス(121~180)が遺したメモ書きをまとめたもの。ひみつのノートを暴かれた皇帝には同情を禁じ得ない。
書物の性質上、同じ主題が重複しているが、そこに説かれているのはストア哲学に由来する無常観・謙虚さ・因果律・原子論…。哲学的用語も多く登場し、指導理性(ト・ヘーゲモニコン)やダイモーンなんて何回みたかわからないくらいだ。
この書物には2000年前のローマの空気が息づいている。しかし読む人に新鮮かつ清冽な印象を残す。
宮廷の多忙な毎日のなかで、あるいは北方の戦塵のなかで、彼がいかに現実と向き合い、自問自答しながら生きたかをうかがうことができる。
1‐17)
神々からはよき祖父たちを持ったこと。またよき両親、よき妹、よき師、よき知人、親類、友人たち、――そのほとんどことごとくがよい人々であった――を持ったこと、そして彼らのうちなんぴとにたいしても過ちを犯さなかったこと。もっとも私は機会があれば、そのようなことをしでかす性質を持っているのであるが、神々の恩恵により、かかる試みに私を逢わすようなまわり合わせが起らなかったまでのことだ。(中略)私の青春を純潔に守ったこと。(中略)私の妻のようなあれほど従順な、あれほど優しい、あれほど飾り気のない女を妻に持ったこと。
2‐6)
せいぜい自分に恥をかかせたらいいだろう。恥をかかせたらいいだろう、私の魂よ。自分を大事にする時などもうないのだ。めいめいの一生は短い。君の人生はもうほとんど終りに近づいているのに、君は自己にたいして尊敬をはらわず、君の幸福を他人の魂の中におくようなことをしているのだ。
2‐7)
活動しすぎて人生につかれてしまい、あらゆる衝動と思念とを向けるべき目的を持ってない人たちもまた愚か者なのである。
3‐4)
ほかのものは全部投げ捨ててただこれら少数のことを守れ。それと同時に記憶せよ、各人はただ現在、この一瞬間にすぎない現在のみを生きるのだということを。
4‐3)
人は田舎や海岸や山にひきこもる場所を求める。君もまたそうした所に熱烈にあこがれる習癖がある。しかしこれはみなきわめて凡俗な考え方だ。というのは、君はいつでも好きなときに自分自身の内にひきこもることができるのである。実際いかなる所といえども、自分自身の魂の中にまさる平和な閑寂な隠家を見出すことはできないであろう。(中略)君が心を傾けるべきもっとも手近な座右の銘のうちに、つぎの二つのものを用意するがよい。その一つは、事物は魂に触れることなく外側に静かに立っており、わずらわしいのはただ内心の主観からくるものにすぎないということ。もう一つは、すべて君の見るところのものは瞬く間に変化して存在しなくなるであろうということ。そしてすでにどれだけ多くの変化を君自身見とどけたことか、日々これに思いをひそめよ。
4‐17)
あたかも一万年も生きるかのように行動するな。不可避のものが君の上にかかっている。生きているうちに、許されている間に、善き人たれ。
4‐49)
(前略)今後なんなりと君を悲しみに誘うことがあったら、次の心情をよりどころとするのを忘れるな。
曰く「これは不運ではない。しかしこれを気高く耐え忍ぶことは幸運である」
5‐1)
明けがたに起きにくいときには、つぎの思いを念頭に用意しておくがよい。「人間のつとめを果すために私は起きるのだ」
5‐3)
すべて自然にかなう言動は君にふさわしいものと考えるべし。その結果生ずる他人の批評や言葉のために横道にそれるな。(中略)君はそんなことにはわき目もふらずにまっすぐ君の道を行き、自分自身の自然と宇宙の自然とに従うがよい。この二つのものの道は一つなのだから。
5‐9)
つねに信条通り正しく行動するのに成功しなくとも、胸を悪くしたり落胆したりするな。失敗したらまたそれにもどって行け。そして大体において自分の行動が人間としてふさわしいものならそれで満足し、君が再びもどって行ってやろうとする事柄を愛せよ。
6‐51)
名誉を愛する者は自分の幸福は他人の行為の中にあると思い、享楽を愛する者は自分の感情の中にあると思うが、もののわかった人間は自分の行動の中にあると思うのである。
加納学氏も言ってたやつね(*'ω'*)