Javaさんのお部屋(サム・ジーヴァ帝国図書館)

Javaさんのお部屋です。引っ越しました。詳しくは「はじめに」を読んでね。スマホ版は全体像が見えにくいから、PC版と切り替えながら見てね。

語る西田哲学

語る西田哲学――西田幾多郎 談話・対談・講演集

【概要】
著者(監督):西田幾多郎

西田の講演録といったところ。表紙が渋すぎる。気が遠くなるようなドイツ語の横文字、観念的な図、一見数学的な式の数々に圧倒される。が、「もっと深い大きいものが要るね、思想でも文学でも」の言葉にあるように、西洋思想をもっと根柢まで掘り下げ突き抜けろ! という静かな熱意が感じられる。主観と客観(あるいは合一)、時、経験、「歴史」、行為、世界、自己、善悪————。そういった西田哲学のエッセンスらしきものを感じられるかも。

 

【詳細】
<目次>

Ⅰ...

  • 鎌倉雑談
  • 人格について
  • 時と人格
  • Coincidentia oppositorumと愛
  • 宗教の立場
  • 伝統主義に就いて
  • ベルグソン、シェストフ、その他―雨日雑談
  • 東洋と西洋の文化の相違
  • 西田幾多郎博士との一問一答(対談・三木清
  • ヒューマニズムの現代的意義(対談・三木清
  • 人生及び人生哲学(対談・三木清

Ⅱ...

  • 純粋経験相互の関係及び連絡に付いて
  • 私の判断的一般者というもの
  • 生と実在と論理
  • 私の哲学の立場と方法
  • 実在の根柢としての人格概念
  • 行為の世界
  • 現実の世界の論理的構造
  • 歴史的身体


<メモ>

  • 「何でも物事を根抵から考え尽してみたいというような気持が早くから私にあったように思う。つまり、何かあやふやでなくしっかりした明白なものを把えねばならぬというようなことを考えていた。これは哲学から教えられたのではない。哲学を学んだのはずっと後のことだ。 それとは無関係にはじめからそんな気持が私にあった」
  • 「あの書物の序文に、我があって経験があるのではない、経験があって我があるのだ、ということを書いたが、これも何でもないことのように思う人もあるかもしれぬが、ここに私の思想の要があるわけなので、今でもそれはそのとおりである」
  • 「私の考えは世界を多と一と相互否定の矛盾的自己同一として、作られた物から作るものへと、創造的に考えるのである。私の考えはモナドジーではない。今は唯個物的多の方から話して見たまでである。私の考えには逆に全体的一から個物を否定する一面があるのである」
  • 「時は人間の心にあるのである」
  • 「自分と云うものがどこも絶対の他から限定されて居ると共に、 又自分と云うものが絶対の他を限定すると云う意味を持って居る。その矛盾したものの統一が詰まりパーソナリティーである。我々の自己と云うものだけが考えられるのでなしに、自己と云うものであるには絶対の他においてある。その絶対の他と云うものにおいて限定されて居る。 そう云う意味において自分と云うものがある。自分を絶対の他において見ると共に絶対の自己を内に見ると云う意味である」
  • 「現在の過去、現在の現在、現在の未来の三つにある現在は一つに包まれているものである。故に永遠の現在である。時はこの永遠の現在に包まれていると考えられる。故に吾々は各々の瞬間に時を超越することが出来る。吾々の人格は各々の瞬間に時を越え永遠なものにふれることが出来る。そこに吾々には何時でも自由がある」
  • 「一つの世界とその次の世界とを考えてみれば、前のものも特殊であり、後のものも特殊である。一般的なものが個別化してくるのでなしに、先の一般ということも一つの特殊なものであり次のものもやはり一つの特殊である。例えばエジプト文化とギリシア文化とを考えてみると、エジプト文化からギリシア文化が出てきたとは云えないし、ギリシア文化はエジプト文化の特殊化されたものでもない」
  • 「とらえられて仕舞えば最早現在の瞬間ではない。それ故瞬間は限定されてはならない。かくて瞬間は限定されて限定されぬものとして矛盾である。真に個物と言われるものはかくの如き瞬間に他ならないのである。かかる瞬間の自己限定は自己を限定する事によって自己を失い、しかも自己を失う事によって自己を得るのである。瞬間は消える事によって生れるのである。そこでは時が常に滅して、しかも常に甦るのである。普通に時は連続線と考えられている。しかしそれは空間化された時にすぎない。真の時は各瞬間において消え各瞬間において始まるのである。各瞬間においてすべての過去を消し、すべての未来を始め得る」
  • 「自己のある処が現在であり、現在は我のある処である。現在の自己限定が即ち我の自己限定なのである」
  • 「善と悪ということについて一言すれば── われらの世界は、自己自身を否定して、次の世界に動くものであるが、現在の世界は、次に移るという意味をもっている。その次の世界の、現われるべき創造の方向が、われらに対して善であり、この世界を否定し、この世界を壊すという方向──これが悪である」
  • 「我々の最も平凡な日常の生活が何であるかを最も深く摑むことに依って最も深い哲学が生れるのである」
  • 「それには芸術家が主観的に働くだけではなく、客観的に物から働かされなくてはならない。 主観と客観の対立から言うならば、主観から働かなくてはならぬが、 それと共に客観からも働かなくてはならない。 主観と客観の相互作用から芸術が成立つのである」