【概要】
著者(監督):原 克
米での流線形イメージと神話圏形成の変遷をたどり、独・日のそれと比較する。流体力学や航空力学でおなじみの流線形がここまでシンドローム的に流行していたのは知らなかった。
「本来、理解を助けるための補助手段であったはずの比喩表現なりイメージが、内容理解の方向性を決定づけかねなくなるのだ」。概念の無際限な自己拡散の驚異と恐怖を教えてくれる。
【詳細】
本来、空気抵抗を制御するという物理現象に関する用語だった流線形が、イメージ言語化してゆき、いつしか狭義の空気抵抗から離れて、抵抗一般を排除する手立てを示す比喩表現となってゆく。工業デザインの使命としての「目に見える流線形」から、いくつかの変容プロセスを段階的に経て、ついには人間工学あるいは心理学の使命としての「目に見えない流線形」にまで変容してゆく。それは、流線形イメージのインフレ状態ともいうべき現象である。
ある特定の目的が設定されるときにしか成立しない「ムダ」や「邪魔」という概念を、およそ生命現象一般に対して存在論的に発動しようとすること。そして、こうした限定的なメカニズムにおいてしか意味をもたない「障害因子」という概念を、あらゆる世界現象に無前提で敷衍しようとする発想。そうしたことどもの総体が、流線形イメージが潜在的に抱えこんでいた危険性である。
<ドイツ>
流線形が、国家社会主義というある特定の未来像の係数に読みかえられてゆき、科学一般が「ドイツの科学」に読みかえられていった。流線形イメージが内容的にも、イメージ言語としても剽窃されていった。
<日本>
大陸経営にむけての効率化、輸送問題解決にむけてのスピード化、植民地経営にむけての機能性の向上。もっぱら、こうした国家的課題に対する現実的な解決策として、流線形は語られた(中略)。
<比較>
ナチスドイツと戦前日本、両者はともに流線形を国家主義に回収していったという点では共通している。しかし、その回収の仕方はそれぞれに独自のスタイルを採っていたのである。