編:那珂太郎
評価:A
【評】
天衣無縫、予測不能、回避不可能。
博学にしてシュール一歩手前の現代詩。
われわれは試されている。
コトバのまさかの組み合わせや結びつきに驚嘆せよ。
<あむばるわりあ 詩情(あとがき)>
今日の多くのスユルレアリズムの芸術は人生が破滅された廃墟にすぎない。昏倒した夢の世界にすぎない。私の作る詩の世界は人生の関係をなるべく一見変化させないやうにして、ただ出来得るだけかすかな爆発を起させるやうに仕組み、その人生に小さい水車をまはすつもりであつた。この水車の可憐にまわつてゐる世界が私にとつては詩の世界である。
一定の関係のもとに定まれる経験の世界である人生の関係の組織を切断したり、位置を転換したり、また関係を構成してゐる要素の或るものを取去つたり、また新しい要素を加へることによりて、この経験の世界に一大変化を与へるのである。(中略)
詩の方法はこの破壊力乃至爆発力を利用するのである。(中略)
その爆発力を応用して即ちかすかに部分的にかすかに爆発を起させて、その力で可憐なる水車をまはすのである。(中略)
要するに経験の世界にかすかに変化を起し、その世界にかすかな間隙が生れる。この間隙を通して我々は永遠の無量なる神秘的なる世界を一瞬なりとも感じ得るのである。
詩やその他一般の芸術作品のよくできたか失敗したかを判断する時、その中に何かしら神秘的な「淋しさ」の程度でその価値を定める。淋しいものは美しい、美しいものは淋しい、といふことになる。
さうした方法で成功した詩の世界に表はれて来る美または淋しさは永遠を象徴する。または神秘的世界を象徴する。(中略)
人間は土の上で生命を得て、土の上で死ぬ「もの」である。だが人間には永遠といふ淋しい気持ちの無限の世界を感じる力がある。
<旅人かへらず はしがき>
自分の中に種々の人間がひそんでゐる。先づ近代人と原始人がゐる。(中略)
ところが自分のなかにもう一人の人間がひそむ。これは生命の神秘、宇宙永劫の神秘に属するものか、通常の理知や情念では解決の出来ない割り切れない人間がゐる。
これを自分は「幻影の人」と呼びまた永劫の旅人とも考へる。この人間は「原始人」以前の人間の奇跡的に残つてゐる追憶であらう。永劫の世界により近い人間の思ひ出であらう。(中略)
路ばたに結ぶ草の実に無限な思ひ出の如きものを感じさせるものは、自分の中にひそむこの「幻影の人」のしわざと思はれる。
【びっくり編】
<失楽園 内面的に深き日記>
おれの脊髄の内部に幾分のチョコレートを感じ
我が肺臓の中にタンポゝとスミレを入れて
ギユイヨー夫人の小学読本を読む
<近代の寓話 秋>
けずつた木屑を燃やすと
バラモンのにおいがする
<山の酒>
サボテンのメキシコの憂鬱
ウパニシャッドの中へ香水をたらしたようだ
<呼び止められて>
木星の喜びの中に
土星の苦悩がみえる
夏が来たのだ。
<豊饒の女神 最終講義>
大森の麦畑と白いペンキのホテル
せんぞくの肥船とサンマと染物屋と
ためいけのストーヴとモデル女と
青山の墓地と百日紅とカンヴァス
タンス町の夕暮とチンドンヤ
六丁目の金魚やとガラスや
イングラムの経済学史とマルクスのカピタル
上田敏のとなりのお湯屋
小泉信三と共産党宣言
幽霊坂とアレンのラテン文法
イェイツと図書館のバルコンと
白金の烏と目黒のイチゴと
おけしよう地蔵とマクベス
アンナ・カレーニナと財政学と
人糞を運ぶ牝牛とアイヴァンホー
易教とアンドロメーダ
<えてるにたす>
桑麦桃が北イタリアをおもはせた
とうもろこしのささやきを
きくたびに滅びた
民族の栄華を悲しむ
唐の詩人のことを思つた
<《秋の歌》>
青ざめた宇宙のかけらの石ころも
眼をつぶつて夏のころ
乞食が一度腰かけたぬくみを
まだ夢みているのだ
目眩めくイマージュの奔流、混沌より結晶し来り、
須臾の間に瞥見し得た永遠の旅人、光芒を放ちて無限の彼方に奔り去る。
古今東西のコトバを乗り回し、放恣にして悠久なる空想の旅客と為らむ。
【淋しさ編】
<ホメロスを読む男>
夜明と黄昏は静かに
金貨の両面のやうに
タマリンドの樹を通って
毎日彼の喉のところにやつて来た
<廃園の情 内面の日記>
結婚した友人が
両蓋の金時計をみせた
ボタンを押すとその奥の方で
アンジェリスの夕鐘がなる
この箱の中に夕暮の野辺がある
<旅人かへらず>
枯木にからむつる草に億万年の思ひが結ぶ数知れぬ実がなつてゐる人の生命より古い種子が埋もれてゐる人の感じ得る最大の美しさ淋しさがこの小さい実の中にうるみひそむ
高等師範の先生と一緒にこまの山へ遊山に行つた街道の鍛冶屋の庭先にほこりにまみれた梅もどきその実を二三摘みとつて喰べた「子供のときによくたべた」といつて無口の先生が初めてその日しやべつた
何者かの投げた宝石が絃琴に当たり古の歌となる
旅から旅へもどる土から土へもどるこの壺をこはせば永劫のかけらとなる旅は流れ去る手を出してくまんとすれば泡となり夢となる夢に濡れるこの笠の中に秋の日のもれる
永劫の根に触れ心の鶉の鳴く野ばらの乱れ咲く野末砧の音する村樵道の横ぎる里白壁のくづるる町を過ぎ路傍の寺に立寄り曼荼羅の織物を拝み枯れ枝の山のくづれを越え水茎の長く映る渡しをわたり草の実の下がる藪を通り幻影の人は去る永劫の旅人は帰らず
<第三の神話>
黄ばんだ欅の葉先に舌の先が触れた
あの暗い晩
永遠の先に舌の先が触れた時
死に初めて生きながらふれるのだ
それは生命の初めであつて終りだ
アンドロメダの子宮に
胚胎する永遠の愛のくらやみ
終りはまだ無限につゞくらしい
種子のない風が吹いている
<えてるにたす>
意識の流れは追憶のせせらぎだ
時の流れは意識の流れだ
進化も退化もしない
変化するだけだ
存在の意識は追憶の意識だ
「現在」は文法学者が発見した
イリユージヨンである
「話す人」の位置だ
永遠は時間でない
時間は人間の意識にすぎない
人間に考えられないものは永遠だ
なにも象徴しないものがいい
つまらない存在に
無限の淋しさが
反映している
淋しさは永遠の最後のシムボルだ
<禮記 生物の夏>
この天使の存在は
永遠に夢みる夢だ
永遠は夢のかたまりだ
人間は象徴を使わなければ
絶対の世界を表現できない
<ヴァリエーション>
蝶の翼に
描かれる星座に
限りない絶望
の変遷が残る