【概要】
著者(監督):桃崎有一郎
義満が室町殿そして北山殿となり、この世の春を謳歌するに至った経緯とその意義を描く。地味な室町幕府の草創期、尊氏~義教までの室町前半のごたごたも解説してくれる。けっこう分厚いよ。
朝廷と幕府の関係の変化、文献に基づいた当事者の生の声や有職故実、義満のパワハラ…。前近世への興味が深まった。北山=仮想現実(バーチャルリアリティ)空間、発想革新(イノベーション)などの歴史学者っぽくない言い回しが印象的。言葉遣いも一般向け書籍のためかフランクめ。本邦初公開も多いみたい。結構変わった人なんやろなあ。
【詳細】
<目次>
- プロローグ 規格外の男・足利義満
- 室町幕府を創った男の誤算―足利直義と観応の擾乱
- 足利義満の右大将拝賀―新時代の告知イベント
- 室町第(花御所)と右大将拝賀―恐怖の廷臣総動員
- “力は正義”の廷臣支配―昇進と所領を与奪する力
- 皇位を決める義満と壊れる後円融天皇
- 「室町殿」称号の独占と定義―「公方様」という解答
- 「北山殿」というゴール―「室町殿」さえ超越する権力
- 虚構世界「北山」と狂言―仮想現実で造る並行世界
- 「太上天皇」義満と義嗣「親王」―北山殿と皇位継承
- 義持の「室町殿」再構成―調整役に徹する最高権威
- 凶暴化する絶対正義・義教―形は義持、心は義満
- 育成する義教と学ぶ後花園天皇―二人三脚の朝廷再建
- エピローグ 室町殿から卒業する天皇、転落する室町殿
<メモ>
観応の擾乱とは、多大な努力で室町幕府を創り上げた彼ら直義一派と、将軍尊氏との個人的な縁故でその成果をわが物にしようとした師直・義詮との対決であり、それを優柔不断な尊氏の存在が救いがたく拗らせた内戦だ。尊氏の幕府に直義が背いたのではない。直義たちの幕府に尊氏の縁故者が挑戦したのである。
一般書ということで軽薄な表現が許されるなら、義満を貫くのは俺様キャラであり、 国民的漫画『ドラえもん』のガキ大将ジャイアンの名言、「お前の物は俺の物、俺の物も俺の物」を地で行く支配欲を見せた。
無益な戦争を続ける南朝も、簡単に将軍に反抗したり結束して将軍に我執を押し通す大名も、自分を制約する者はいつか必ず消えるべきだ。義満は生涯、そう信じ続けた。
「武家の拝賀の扈従の事、諸家一同これを見訪ふべし。然らずは生涯を失ふべし(義満の右大将拝賀には「諸家一同」扈従せよ。さやなくば「生涯を失う」だろう)」と義満が考えている、と誰もが口を揃えた。
義満の支配は、朝廷全体を飲み込んでいた。この体制を引き継いだ六代将軍義教の時代に、ある皇族が「公方の仰せは故障能はず」と日記に書いた。「将軍の動員に「不都合で無理」という返事はあり得ない」。義満が朝廷に植えつけた新たな原理を、一言で表現した名言である。
義満は「自分の儀礼に奉仕せよ」と命令しない。ただ、「してくれたら嬉しい」と、独り言に似た希望を故意に漏らすだけだ。その発言からは、「私が望んでいると知りながら無視するなら、私は不機嫌になり、それなりの結果を招くぞ」というメッセージを読み取らねばならない。"空気"を読むのだ。
ありがちなパワハラ上司やんけ(*'ω'*)
義満はあることに気づいた。それまで、室町殿は幕府と朝廷の一員であり、内部から当事者として幕府と朝廷を支配していた。しかし、出家により、室町殿が幕府と朝廷から飛び出し、どちらの一員でもなくなり、完全に外部からそれらを支配する立場になった。そのことを可視的に表現するためには、朝廷・幕府の物理的実体である京都から出ればよい、と。そうした観点から探した時、京都北西の北山は最適だった。
室町殿⇒北山殿へのクラスチェンジ。
現実的な政治の手段や常識では処理・表現しきれなくなった前代未聞の権力を、一つの地域に作りあげた虚構世界を通すことで処理・表現可能にした義満の独創性には、舌を巻くほかない。北山とは、その一種の天才が未知の権力を創造した発想革新の壮大な実験場なのであり、そして生活や政治の中に娯楽的な虚構の物語が常に染みこんでいる、アトラクションなのだった。
その他