【概要】
著者(監督):宮崎市定
1300年にわたって続いた中国の官吏登用試験制度・科挙の全容とその功罪を一冊にまとめた。時代が下るほど煩瑣で形式化していく試験制度にウンザリさせられるが、幽霊が出るだのカンニングシャツだのの挿話で読みやすい。長い時を経て洗練・確立された膨大な作業や手続き、官僚機構の愛憎を見ていると人間社会の悲喜劇というものをしみじみと感ずる。
【詳細】
<目次>
- まえがき
- 序論
- 試験勉強
- 県試──学校試の一
- 府試──学校試の二
- 院試──学校試の三
- 歳試──学校試の四
- 科試──科挙試の一
- 郷試──科挙試の二
- 挙人覆試──科挙試の三
- 会試──科挙試の四
- 会試覆試──科挙試の五
- 殿試──科挙試の六
- 朝考──科挙試の続き
- 武科挙──科挙の別科
- 制科──科挙よりも程度の高い試験制度
- 科挙に対する評価
- 後序
<メモ>
〇科挙受験のすゝめ
富家不用買良田
書中自有千鍾粟
安居不用架高堂
書中自有黄金屋
出門莫恨無人随
書中車馬多如嗾
娶妻莫恨無良媒
書中有女顔如玉
男児欲遂平生志
六経勤向窓前読
金持になるに良田を買う要はない
本のなかから自然に千石の米がでてくる
安楽な住居に高堂をたてる要はない
本のなかから自然に黄金の家がとび出す
外出するにお伴がないと歎くな
本のなかから車馬がぞくぞく出てくるぞ
妻を娶るに良縁がないと歎くな
本のなかから玉のような美人が出てくるぞ
男児たるものひとかどの人物になりたくば
経書をば辛苦して窓口に向かって読め
- 貴族を支配下に置くべく唐代に開始された模様。
- 先生は失業官吏か浪人生が多い。
- 天子ネーム使用不可などの制約がたくさん。
- 試験官と受験生の親近感、同期の桜。
- 幽霊が出たり発狂したりと伝説に事欠かない。
- 文房具や食料や炊事具やふとん持ち込みの必要あり。答案を汚したり濡らしたりしないように守れ。
- カンニングや替え玉受験が頻発。
- 官僚製造システムだが在野の知識人という副産物もあった模様。
- 後序では企業の人材流動化や大学教育の改革も提言。
仲秋の気候のよい時季とはいえ、入口に戸のない独房には、冷気をおびた夜風が短いカーテンを通して遠慮なく吹きこむ。堅い板の上にしいたせんべい蒲団では夜の寒さを防ぐに十分でない。何より独房が狭く、足を十分に伸ばすわけにはいかない。えびのように身をかがめてしばし一時をまどろむのである。その仮寐の夢も決してまどやかではない。ことに首府から遠くはなれた田舎からはるばる上ってきた挙子たちは、故郷に残って安否を気づかう両親、兄弟、友人の面影が彷彿として眼前にちらつくことであろう。
古くから人生に忘れがたい最大の会心事が四つあるとされていた。
久早逢春雨
他郷遇故知
洞房華燭夜
金榜掛名時
長いひでりのあと、しめりの雨
遠い異国で旧知にあったとき
新婚の部屋で差し向かいになったとき
進士にみごと及第したとき
新進士のうち、最る年齢が若く容貌の端麗な者二人が選ばれて探花という役目を仰せつかる。これは長安城中の名園をくまなく訪ねて、一番美しく咲いた牡丹を手折ってきて披露する。もしその時にほかの人がそれよりももっと美しい牡丹をもちこむと、探花は役目怠慢だといって罰盃、すなわち処罰の酒をしたたか飲まされることになっている。
宴が終わると、新進士は一同うちつれて馬にのり、この日に持ちよられた牡丹の出処をたずね観賞して歩く。まさに新進士にとって生涯最良の日である。長い長い血みどろの受験生活で神経をすりへらしたあと、突如として進士に及第して洋々たる前途が開け、きょう祝賀会、あすも祝賀会と浮かれてきたのであるが、ここにいたってそれがクライマックスに達した感がある。長年の苦労がこれでやっとむくいられたというべきであろう。この喜びを歌った詩は古来多く残っているが、唐の孟郊のそれが後世長く伝誦された。
昔日齷齪不足嗟
今日曠蕩思無涯
春風得意馬蹄疾
一日看尽長安花
これまでの不運をあくせくと何であのように歎いたのやら
今日は前途洋々、思い出せばかぎりない感懐だ
春風も吹くしおれも得意だし、馬の足も軽い
一日中見あるいた長安の花は何と美しいことか
家柄も血筋も問わず、力のあるものはだれでも試験を受けることができるという精神だけでも、当時の世界でその比を見ない進歩したものであったといえよう。