評価:A
【評】
わが国でいちばん有名なのが『法華経』と、この『浄土三部経』(『阿弥陀経』『大無量寿経』『観無量寿経』)でしょう。この二つがひとびとにもっとも強く影響を及ぼしていると思われます。
『阿弥陀経』
「極楽浄土のみごとなすがたを端的に、簡明に述べた」経典。
南国感あふれるキンキラ世界が広がる。
十万億の仏土を過ぎた西の彼方にある極楽浄土。
天楽が鳴り響き、地は黄金に輝く。
曼荼羅華が降り注ぎ、迦陵頻伽は妙なる声で囀る。
舎利弗よ。衆生にして極楽浄土および阿弥陀仏と聖衆のことを聞く者あらば、まさに願を発してかの国に生まれんと願うべし。所以はいかに。かくのごときもろもろの上善人とともに、一処に会うことをうればなり。
「死んでからあとでも、来世に極楽浄土で、身に親しい人とともに同じところに生まれる(倶会一処)――願わしいことです」。
いいね、行きたいね、彼の国。
さて、彼の国に生まれんためには、
(阿弥陀仏の)名号を執持するに、(中略)もしは七日の間、一心不乱ならば、その人命終る時に臨んで、阿弥陀仏は、もろもろの聖衆とともに、そのまえに現在したもう。この人命終る時、心顛倒せず。命終りてすなわち阿弥陀仏の極楽浄土に往生することをえん。
すでに願を発し、いま願を発し、まさに願を起して、阿弥陀仏の国に生まれんと欲せば、このもろもろの人ら、みな阿耨多羅三藐三菩提より退転せざることをえて、かの国土において、もしはすでに生まれ、もしはいま生まれ、もしはまさに生まれん。このゆえに、舎利弗よ。もろもろの善男子、善女人にして、もし信あらば、まさに、かの国土に生まれんと願を起すべし。
「現在の我れを向こうへ投げかけて、投げかけた結果、こんどはあちらからのはたらきによって私たちの生活が生かされてくるのです」。
『大無量寿経』
「現世において極楽浄土の信仰に基づいて、どういう生活をしたらよいのかという問題について、実践の意義を強調している経典」。
進化前の法蔵菩薩が四十八願なるマニフェストを開陳する。
No.18親鸞のウルトラC「悪人正機説」「不来迎の義」を生んだ伝説の18番。
たとい、われ仏となるときをえんとき、十方の衆生が、至心に信楽して、わが国に生まれんと欲して、一念乃至十念せん。もし、生まれずんば、正覚を取らじ。ただ、五逆の罪を犯すものと正法を誹謗するものを除かん。
No.19
たとい、われ仏なるをえんとき、十方の衆生が、菩提心を発し、もろもろの功徳を修め、至心に願を発して、わが国に生まれんと欲せば、寿の終る時に臨みて、われが仮令、大衆とともに囲繞して、その人の前に現ぜずんば、正覚を取らじ。
No.40
たとい、われ仏なるをえんとき、国中の菩薩、意に随って十方の無量の厳浄なる仏土を見んと欲わば、時に応じて願いのごとく、宝樹の中において、みなことごとく照見せんこと、なお明鏡にその面像を覩るがごとくならん。もし、しからずんば、正覚を取らじ。
しかも、
この世において善を修すること、十日十夜すれば、他方の諸仏の国土において善をなすこと千歳なるに勝れたり。これゎもう。。。往生しやがれとしか言いようがない。
最後はもちろん大喝采。
その時、三千大世界は、六種に震動す。大光、あまねく十方の国土を照らす。百千の音楽、自然にして作る。無量の妙華、紛紛として降る 。
『観無量寿経』
「阿弥陀仏ならびにその極楽浄土を心にじっと想い浮かべ、想像することを教えているという点で、非常に有名です」。
うまく舞台の「王舎城の悲劇」が活用されている。
かの仏を想わん者は、まず、まさに像を想うべし。目を閉じても開きても、一宝像の、閻浮檀金の色のごとくにして、かの華上に坐したもうを見よ。
十念を具足して、<南無阿弥陀仏>を称えしむ。仏の名を称うるがゆえに、念々の中において、八十億劫の生死の罪を除き、命が終る時、金蓮華の、なお日輪のごとくなるが、その人の前に住するを見ん。「下品下生」の人は、浄土に生まれ変わった後も、だいぶ待ち続ける必要があるけどね。
いつか蓮華の花開く時が来るまで…。